ある日、森の中

思ったこと、考えたこと、調べたこと、経験したこと

死産のこと2:入院2日目

ほとんど眠れないまま、朝を迎えた。夜はあまりに涙が出るので、今の状況と全然関係ない情報を入れようと思い、ビジネス系の自己啓発ブログなどを読んで過ごし、倒れるように眠り、でも目が覚めてまた涙が止まらず、よくわからないブログを読み続ける、の繰り返し。何か違うもので目と頭をいっぱいにすると私は気が紛れた。

一緒に泊まらせてもらった夫は、看護師さんに必要な荷物を確認していったん家に帰り、私は朝ごはんを食べた。シャワーを使わせてもらったとき、大きくなっているお腹を鏡で見てまた泣いた。

9時頃、院長と看護師さんが来て、お腹の張りや痛みはないかと聞かれたけれど、胎動がない以外は本当に何もなかった。

院長から、今日は、子宮口を開くための"木の棒"をいくつか入れて、時間かけて子宮口を開き、その後、陣痛促進剤を使って陣痛を起こして赤ちゃんを産む、という説明があった。このあとも、院長も看護師さんも揃って"木の棒"という表現を使うので、その辺の道端に落ちている木の枝にヤスリかけてきれいにしたみたいなものを想像してしまった。退院後に明細を見たら、「ラミナリア」というらしい。可愛らしい名前だけど、こいつが本当に痛かった。ただ、この激痛自体は感覚としてはもう覚えていない。出産の痛みは赤ちゃんが産まれたら喜びで忘れてしまうとは言うけれど、私の"木の棒"の痛みも記憶としてはないので、「痛い」という記憶(感覚?)は残りにくいようだった。私の体質だとしたらラッキーだ。でも、"木の棒"を痛いですよと説明してくれた看護師さんの言葉の方は今でも覚えている。

「希望のある痛みよりも、希望のない痛みの方が、痛いかもしれない」

今は比較のしようがないけれど、確かに痛くて悲しかった。

 

9時半頃には、夫だけでなく、両親と妹が来てくれた。一通り、状況を説明したら何も話すことがなくなってしまった。何もしていないと涙はでるけど、泣き崩れることもないし、何となく誰かが口を開いて、誰かがそれに答えてはまた黙る、という感じで過ごした。

 

夜、全然寝ていないし、家族で黙っているのも気まずいので、寝ようかなぁと話していた頃に看護師さんに呼ばれた。

半月前に参加した母親教室で案内してもらった出産のためのLDRを横目に通り過ぎ、手術室っぽい部屋に。言われるがままに内診台よりも大掛かりな台に横になり医者を待っていると、やっぱり涙が出た。

処置自体は10分もかからず終わったけど、今までの内診よりも力ずくな感じ、何かを入れている感じで、痛かった。痛いやら悲しいやら。よく考えたらこれから陣痛も来て出産もするんだよなー痛いよなーと実感し始めた。"木の棒"が股に入っているイメージをするとなんだかもぞもぞとした違和感があったけど、時間が経ったら慣れた。

 

部屋に戻ると、父母妹は外に出ており、夫が待っていてくれた。2人で昼食をとり、ぼんやりしたり話をしたり。夫は葬儀屋さんの連絡や仕事を休む手配をしてくれていた。普段、私は割と先のことを考えている方だと思っているけど、この時は本当に頭が回っていなかった。

しばらくすると父母妹が戻ってきて、また話したり黙ったりして帰っていった。妹が、私の泣き腫らした目に、コットンと化粧水を買ってきてくれた。すごい、思いつきもしなかった。有り難い。

 

夫とぼんやりしていると、葬儀屋さんが棺を持ってやってきた。両手に抱えられるくらいの小さな木の箱。その場でお金を支払った。夫が、

「子どもの棺代を払うことになるとはなぁ」

とぽつりと言った。

 

それから2人で、これまでの妊娠中のことをぼそぼそと話した。まだエコー画像を通してしか見たことがなかったけど、この半年、大きくなっているのを見ていたし、ずっと一緒にいたし、3人になることを楽しみにしていた…などを話した。昨日の夜から何となくお腹を見たり触ったりするのを避けていたけど、夫と話をしてから、ちょっとずつ、一昨日までのように撫でてあげられるようになった。

 

それから夫は一度家に帰りがてらご飯を調達して戻ってきて、2人で晩ご飯を食べ、この日の夜は夫は家に帰った。自宅には出産準備として、赤ちゃん用の肌着や哺乳瓶などが散乱していたので、この時は悲しい場所だったと思う。夫はよくこの悲しい場所に出たり入ったりしながら入院期間を過ごしてくれたものだと思う。

 

夜は、眠気の限界まで出産とか全然関係ない本を読んで、倒れるように寝た。