ある日、森の中

思ったこと、考えたこと、調べたこと、経験したこと

5月7日の夕方から夜にかけての話

 

「昨日、産まれました」

と、連絡が来た。

 

もう20年近い付き合いの友人である。仕事中にスマホをチェックして、スマホを見る手が一瞬止まり、仕事の手も同時に止まっている。

予期せぬ報告に「ゥワッホ」となった。声に出さなくてよかった。予告するわけにはいかないだろうけども。いや、もともと、今月が予定だということは聞いていた。でも何日頃なのかまでは聞いていなかった。まあ、月の半ばを過ぎて、そろそろかな…大丈夫かな…と一人ドキドキするよりは、月初めにドカンと撃ち抜いていただいてよかったのかもしれない。

 

3人目かー。名前はまだ考え中なんだね。なるほど。

こういうときはとにかくすぐに返信するに限る。既読後に時間が経ちすぎると、時間が経った分、何かを上乗せして送らないといけないような気になってしまうから。いやまあ向こうはそれどころではないだろうから、完全に私の気持ちの問題だけれども。

返信をする。日常で感情を殺し心を無にする鍛錬を繰り返し、この2年半でずいぶん上達した。「おめでとう」「体を大事にね!」あとなんか可愛げなスタンプ。この瞬間、私の脳は指先にあった。任務完了。

 

よしよし、よくやった。おめでたいのは本当だしね。

仕事終わり。時間もちょうど。帰ろう。こんな日は仕事しててもしょうがない。

 

それにしても、事前に「無事に産まれたら教えてほしいけれども赤ん坊の写真は送らないでほしい」と頼んでおいてよかった。そして「おっけー」と快諾してくれる相手でよかった。何せこちとら夕方6時台の地方ニュースに不意に流れるどこの誰かも知らない赤ん坊コーナーから未だにパンチを喰らってるんである。ほらほら、今帰ってきて何気なくつけたテレビから垂れ流されるこれ。なんだかんだ鍛錬がまだ足りない。産まれたなんて超個人情報をローカルとはいえテレビに晒していいのかよ?!と脆弱な悪態をついてチャンネルを変えるしかなす術がない。 

 

無事かどうかは知りたい。しかし、赤ん坊は見たくない。

この葛藤、長く続きそう。でも多分写真添付がないだけでだいぶマシ。死産経験者ライフハック認定。

 

・・・しかし、やはり来るこの感情。

「彼女には産まれるのに、どうして私には・・・」

死産に加えて最近は不妊も重なってるので、こう来ることは想定内。もう答えは準備してある。いいか、よく聞け、自分。

「どこかの動物園ではカピバラの赤ちゃんが無事に産まれているのに、どうして私には産まれないのか、というのと同じだ。冷静になれ。気休めなのもわかってるけども」

 

・・・逆に悲しくなってきた。

 

 

カピバラはかわいいよね。見たことないけど。

 

 

理性的になりたいけど、感情に勝てない時もある。

 

 

考えても仕方ない。

 

 

 

今日はもう何やってもたぶんダメだ。

 

 

 

 

チェンソーマンでも読んで寝よう。