ある日、森の中

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死産のこと11:1年が経った

死産から1年が経った。

なんだかお腹の動きに元気がないと気づいて産婦人科に行って、心拍停止が確認され、夫と二人で超泣いて、入院して、ラミナリアの激痛に耐えていた頃だ。

 

あの数日間が、ものすごく昔に感じるし、そんなことが自分に起こったんだっけ?と他人事のように距離をとりたくなることもある。

一方で、私たちの子どもはどんな顔や声をしていたのかなぁ…と、不意に悲しくなって涙が出る。

電車やカフェやスーパーで赤ちゃんを見かけることはたくさんあるけれど、その瞬間に感情の動きを止めてやりすごすことが上手になった(私はこの状態を「無感覚」と呼んでいる)。

日常では、仕事をしたり漫画を読んだりドラマ見たり笑ったり愚痴ったりしているし、夫は今年もカープの勝敗に一喜一憂している。

1年って、長いようで、あっという間で、元気なようで、悲しみに暮れていて、全体的には穏やかになりつつあるけど、でもときどきとても苦しい、そんな不安定な時期だと思う。

 

つい最近でも、ごくたまに、私が去年妊娠していたところまでは知っている人がいて、当然子育てしていると思われているので、「お子さんは保育園ですか?」などと聞かれることがあった。仕事復帰直後とかは聞かれるだろうなという心の準備ができていたけど、ここまで来ると思いもかけないところから不意打ちでやってくる。でも、「亡くなってしまって子どもはいません」と答えるのもなんだかモヤモヤする〜と思って、ある時から、

「産休直前で亡くなってしまって、子どもはいるんですけど、育てている子どもは今はいないんです」

と答えるようにした。これが今のところ、しっくりくる答え方だと思っている。そのうち、聞かれることすらなくなっていくだろうから、その時に我が子のことをどのように表現できるのか(するかしないかも含めて)、今後の感じ方や考え方は変わっていくのだろう。

 

1年経つというこの週末をどう過ごそうかな〜と思っていたら、母と妹が遊びに来た。写真と遺骨を見てくれて、夫も含めて4人でご飯を食べに行き、最近ハマっているボードゲームをやって、帰っていった。見送ったあと、夫が「うちまで来てくれて、赤ちゃんも一緒に過ごせてよかったよね」と言った。

また、遠方に住む友達が、赤ちゃんに、と素敵な花飾りを贈ってくれた。別の友達が以前、贈ってくれたかわいいクマの置き物とともに赤ちゃんの棚が華やかになった。

元気に産まれていたら、出産祝いをもらったり、人や親戚が来て子どもと遊んだりするだろうけれど、そんな機会はもちろんない。だから、今回の来客や贈り物は、我が子のためにあったという貴重な日だった。

あとは本を読んだり、昼寝したり、ドラマ見たり、そんな感じで普段と変わらず過ごした。

 

3人で、悲しくも楽しく過ごした1年だった。

これからの1年も、いろいろあるだろうけれど、穏やかに過ごしたい。