ある日、森の中

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死産のこと9:復職後の生活

死産から7ヶ月経った。ぼちぼち過ごしている。

人から「元気?」と聞かれたら、「そんなに元気じゃないです」と正直に答えている。言わずに察してくれるような人は私の周りには多くない。

 

4ヶ月目(復職直後)

復職初日、年配の職員の方が私を見かけて「聞きました。私、なんて言ったらいいかわからないけど、何かあれば、いつでも来てくださいね」と言葉を詰まらせながら言ってくれた。関わりが多く、信頼している方なので、とても嬉しかったし、朝から涙が出た。でも、それ以外の職員では状況を知っている人と知らない人が混在していて、というか、知らない人の方が多くて、私を見かけると、笑顔で「産まれました?」とか、(復職には早くないか…?)と疑問な表情で「もういいんですか?」などと聞かれることが最初の1週間は続いた。職場の特性上、きっとちゃんと伝わってないだろうとわかっていたので、途中から「いやそれがですね実は…」と説明する言葉を台本のように決めて話していた。心構えて説明してやる分には、そんなに困らなかった。

上司はできることからやってくれれば良いと言ってくれたし、仕事は多くなく結構マイペースでできたので、8時半出勤16時半退勤を貫いた。それまで、妊娠中ですらだいたいオーバーワークだったのでこんなに定時勤務したのは人生初かもしれない。

朝、掃除のおばちゃんに挨拶されたり、帰るときに警備のおじさんに優しい笑顔で「おつかれさまー」と声をかけられたりすると、涙をこらえるのが大変だった。どちらも妊娠中にも気遣ってもらっていた人たちだった。仕事上つながりのある人だけでなく、直接仕事とは関係のない、でも職場の環境を支えてもらっている人たちというのが大事なんだとわかった。

また、大変今更ながらという感じだったけれど、子の名前を決めた。それまで、いくつか候補は出していたけれど決め手がないまま、馴染みのある妊娠中の呼び名で呼んでいた。ちょうど年末で帰省をしたり、心配してくれていた友達に会いに行ったりする機会があったので、報告できるようにちゃんと決めた。狭いお腹→狭い棺、寒い中の待機からの火葬、となかなかヘビーな環境を過ごした子なのでほどよいあたたかさと広さをイメージした名前にした。人気のある名前は時代に不足するものを反映している、などと言われるけれど、確かにそうかもなと思った。

 

5ヶ月目

「妊活を再開しないとなー」と思っただけで涙が出ることが続いた。年齢も30代後半なので、悠長に悲しみに浸っている余裕はない!と頭では考えているのだけど、気持ちが追いつかないようだというのがわかった。ずっと一人でモヤモヤしていたのだけど、これはいけないと思って、夫に、妊活しないととは思うのだけど考えただけで涙が出るのだ…と伝えてみた。すると夫も、実は自分も似たような感じを持っている、と話してくれた。今は焦らなくて良い、と共通理解をすることができた。もし今後、妊活ができなくてもこの人と一緒に子どもを育てる別の方法を考えることはできるだろうし、2人でもたぶん楽しく暮らしていけるだろうと思った。

 

6ヶ月目

首と肩と肩甲骨がめちゃくちゃ痛くなって、鍼に行った。悲しみが体の痛みとつながっているということを以前書いた。復職後から泣くのを堪える機会が増え、歯を食いしばる機会が増え、痛みが増したのだろうと思っている。

たくさん泣くことは減ったけれど、それでも家に帰って突然泣くことはあった。まるで死産直後の時のように。何が悲しいなんて言語化するより前に涙が出ていた。

 

7ヶ月目

流産・死産・新生児死を経験した人たちの集まりに参加した。半年前はなぜかそんなものに絶対行くもんかと思っていたけれど、1回くらい行ってみてもいいかなという気持ちになった。人は変化する。当日は7,8人のグループで話をした。何回か参加してるっぽくて慣れているっぽい仲良しっぽい人たちが先にいたので、やべー入れんと思ったけれど、初参加で同じくらいの時期に死産を経験した人もいて、なんとかとどまることができた。1時間くらい話をしてみて、自分とは違ういろんな考えや気持ちや経験の人がいること、職場など周囲の人の理解の違いできっとこちらの感じ方は大きく変わるんだろうということ、などを感じた。こういう当事者のグループに参加して、自分の話をするのは良いなと思った。また気が向いたら行ってみたい。

ショッピングセンターに行くことがそんなに苦ではなくなってきた。ていうか行ってる。3,4ヶ月目の頃は赤ちゃんが目に入るのがしんどかったけれど、最近はそうでもない。もちろん、全く平気でもないけれど、うつむいてスーパーを早足で回るようなことはしなくても大丈夫。時間が経つって偉大だな。でも最近は、「産まれてたらもう生後半年か…」と思うことが増えたので、ちょうどそのくらいの子を見ると、ちょっと悲しくなる。こうやって、見ると悲しくなる子どもの年月齢が成長していくのだろう。

ここに来て新しいことを始めた。スポーツジムに入会したりオンライン英会話を再開したり。仕事も増えてきて、自分が活動的になり過ぎていることを感じる。単に妊娠前の状態に戻りつつあるのかもしれないけれど、どちらかというと、半年間の抑うつの時期を過ぎて、軽躁状態に転じたという気もする。行動は増えているけれど、帰り道に気持ちが落ちる。自分が心配だ。

 

これからのこと

4月に入ったら、本当に仕事が通常運転に戻ってしまう。でも、夫と遊んだり子の写真を眺めたりしてゆっくりする時間も持ちたいと思っている。最近見つけた小さな喫茶店で本を読んで過ごすとか。

たまに泣く時間もあるだろうし、あっていい。