ある日、森の中

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死産後の生活16:予想外に体外受精に至れなかった

40代に突入して、妊活期間もそろそろ終わりに近づいているじゃないか、と気づいた時、初めて体外受精やってみようと思いたった。

 

子どもが欲しいから、というよりは、10年20年後、何かの拍子に、やっぱりもっと不妊治療をしておけば良かったという後悔が襲ってきた時に、「でもできることは全部やって頑張ったから仕方ないじゃん」と言えるようにしようという消極的な理由だった。体外受精までやって100万円くらい使ってやれることやったよね、と将来の自分に言い訳させてやりたい。とりあえず次の誕生日まで、それから気持ち切り替えて生きていくことにしようと決めた。すでにうまくいかないことを想定しながら取り組み始めるという状態だった。

 

以前、人に教えてもらったクリニックがちょうど説明会を開いていたので申し込み、そのまま受診もすることにした。まちなかの綺麗なクリニックで、少し遠かったけれど夜遅くまで営業していた。最初はいろんな検査をして(と言っても私は血をとられただけだけど)、FSHやらAMHやら測定した。諸々で5万円。

 

そして、やっと始まった自己注射。最初はペンタイプというやつで針は細く短く、思ったほど負担ではなかった。あとクロミッド服用。これを何日かやるだけでまた5万円くらいかかったが、とりあえず注射が大したことなかったので安心した。

そして次の受診。

薬を変える、ということで、ペンタイプではなく本当の注射器を使うことになった。「ペンタイプのあんな細い短い針なら楽勝だぜッ」と油断していた私は、看護師が持ってきた注射器と針の長さに正直ビビった。しかし、40年見栄を張って生きているので、多少のことでは驚いた気持ちは表情に出さず、看護師に教わりながら注射をした。お腹の脂肪を溜めてて良かった。痛みは見た目ほど大したことはなかったし、これまでも採血やインフルもコロナも予防接種の注射してきたわけだし、まあ何とかなるデショという気持ちでまた4万円払った帰り道。

 

突然、涙が溢れまくって止まらなくなった。

 

車で来ていて良かった。いや、もしかしたら電車なら人目があるから泣かなかったのかもしれないけれど、とにかく、一人でよかった…と思うほどに急にめちゃくちゃ泣けた。運転していたのでゆっくり涙を拭ったり鼻をかんだりすることもできず、慣れない道をナビを頼りに走っていたのに、泣きすぎてナビの指示を聞き損ね、道を間違えた。何を泣いているのか全くわからず自分で自分が意味不明だった。やっと家に帰りついてからも、ずーっと泣けてしまって、1日を終えるのが大変だった。夫にすごく心配された。でも別に注射が怖かったとか痛かったとか、そういうことではない。確かに医者は体育会系で圧が強いし、今日の看護師は採血が下手すぎだったけれども、そういう瑣末なことではない気がした。

 

だんだんと落ち着きながら、何が起こったのか考えてみた。はっきりと思い当たることは全然なかったけれども、一つだけ浮かんだことはあった。リアル注射器を初めて使った自己注射の瞬間、なんとなく、薄ぼんやりとだけれど、チラッと一瞬、以前の死産や流産の時の無痛や点滴や採血や麻酔の注射が思い出されたというか、見えたような気がしたのだ。全然明確ではないし、自分でも言っているだけかもという気がしなくもないけれど、あの、産婦人科での悲しくて痛い経験が頭を一瞬掠めた気がした。

そんな話を夫にしたら、そういう経験がフラッシュバックしているのではないか、と言われた。全然実感はわかないが、それが一番しっくりくる説明のように感じた。だからと言って泣き止みもしないし状況は変わらなかったけれど、何か説明は欲しかった。

 

でもまだ悪足掻きをしていて、次の日になったら落ち着いているんじゃないかという希望も持っていた。初めての注射に動揺してびっくりしちゃっただけ、という説だ。だから、自宅でゆったりした中でやれば、実は大したことなかったとわかるかもしれない(夫には、そういう泣きの量ではないと思うけど、と言われた)。

 

ということで翌日、再度チャレンジしたが、見事に同じ結果になった。注射するまでは大した緊張も動揺もなかったが、終わった途端に泣けてしまったのだった。昨日あれだけ大泣きしたので、泣きがクセになっているという可能性もあるけれど、何にせよ、自己注射をするには精神力と胆力が必要ということがわかってしまった。泣きながら続けることはたぶんできるけれど、自己注射だけでなく痛かったりしんどかったりする場面がまだまだあるだろうし、そこまでして続けたいのか・続けられるのか、という選択を迫られてしまった。私の答えは「No」だ。

 

テレビやネットで見る不妊治療の終わりというのは、もっと時間やお金をかけてめちゃくちゃ悩んで諦める、みたいなイメージだった。あるいは、私のように、年齢も高いので期間を区切って短期決戦、とか。だから本当は、何ヶ月かかけて100万円とか注ぎ込んだ時点で「終わり」にするつもりだったのに、こんな形で1ヶ月も経たずに終わることになるとは予想もしていなかった。こんな終わり方もあるんだな。

死産や流産をした人がみんなこうなるのかは知らないし、少なくとも不妊治療を続けている人たちは何かしらの痛みやしんどさを乗り越えたりかわしたりしているのだと思うけれども、私にとってはどうやらこの辺りが限界だったようだ。

 

死産や流産がこんなふうに自分に影響を及ぼしている(かもしれない)ことにも初めて気づいた。だからこそ、最初からずっと消極的だったのかもしれない。

 

ひとまず、「でもできることは全部やって頑張ったから仕方ないじゃん」とは自分に言えるようになった。体外受精をしないことが妊活自体の終わりではないし・・・と諦めの悪いことを言いつつ、区切りはついたので、楽しいことを見つけて生きていこうと思う。姪っ子とか人んちの子どもに課金したりとか。