ある日、森の中

思ったこと、考えたこと、調べたこと、経験したこと

死産した年の喪中葉書と思ったこと

死産を経験した人の多くが出会うであろう問題に私も出会った。

年賀状どうするか問題。

そして、多くの人がそうしたであろうように私もネットで調べまくった。そもそも、成人してからは幸いなことに周囲がピンピン生きているので、喪中葉書そのものを出したことがなかった。

 

一般的に「喪中はがき」と呼ばれているものは、正式には「年賀欠礼状」と言います。これは喪中の期間のお正月に、新年を喜ぶ挨拶を控えることを詫びるものです。

喪中はがきというと、自分が喪中であることや、自分の家に不幸があったことを知らせる訃報のはがきと思っている方もいますが、本来は、「喪中のため、今年は新年のお喜びをお伝えできませんので、失礼いたします」という趣旨の挨拶状なのです。

喪中のマナー | ゆうびん.jp

 

 

喪中葉書は、「新年の慶びを伝える気にならないので賀状は出しませんが悪しからず」という意味らしい。それは全くその通り。別に何も出さずに受け取って寒中見舞でもいいかなと思ったけれど、子どもが産まれそうな人たち、去年産まれた人たちがたくさんいるので、子どもの写真付き年賀状が届くことを阻止する目的の方が大きいとも思った。もちろん、相手から年賀状が届いたとしてもそれは相手の都合なのでこちらが責めることではない。ただ、去年の年賀状を引っ張り出してきて確認しているだけでも、赤ちゃん写真集と化した年賀状の束を見るのはしんどかった。

年賀状を出している相手を次の3つに分けた。

  ①死産したことをすでに報告した人

  ②妊娠は知っているけど死産は知らない人

  ③妊娠していたことすら知らない人

①はほとんど親しい友達で、近すぎて年賀状のやりとりすらしていない人もいた。もうここはLINEでお知らせしてよしとした。

②は仲の良い友達先輩後輩で、妊娠中に会う機会があった人たち。もうすぐ産休なんだーというタイミングで会った人もいた。メールやLINEでお知らせもできただろうけど、なんとなくできないまま年末に近くなってしまったので、今回お知らせすることにした。葉書の本文テンプレートに加えて「誕生を予定していた第1子がおりましたが、残念ながら元気にこの世に出てくることが叶いませんでした」と書いた。

③は詳細を記載せず、「喪中のため新年のご挨拶を失礼させていただきます」とどこかのテンプレートの通りに書いた。ただ、③の中に、最近直接会ったりやりとりしたりはしていないけれど、お世話になった大好きな先輩がいて、この人には知ってもらいたいし、そういうお知らせをしてもたぶん受け取ってくれるだろう、と思い、②のような文面で送った。

 

最近はFacebookやLINEの一斉送信などで駆逐されつつある年賀状らしいけれど、私は、普段なかなか会えない人たちに近況をお知らせできるいいタイミングだと思って、年賀状には力を入れている。印刷のみとか印刷プラス一言ではなく、近況を結構書くので、受け取った人たちから「インパクトがある」「毎年楽しみにしてる」と言われて調子に乗って続けている。もともと手紙を書くのが好きということもある。仕事先に義理で出す分はない。

そういう状況の中、喪中葉書を作りながら考えたことがある。

もし来年や再来年に子どもを授かるような幸運に恵まれたら、私はそのことを年賀状で報告するだろう。では、今回産まれてくることができなかった子のことは? なぜ私はこの子のことを喪中の理由として知らせてあげないんだろう? 祖父母などが亡くなった時の喪中葉書には、「祖母クマ子が九十歳で永眠いたしました」などと書くのに、どうして私はこの子のことを全員に書かないんだろう?

そんな疑問が喪中葉書を作っている間中、ぐるぐるしてしまった。もちろん、関わる人全員に知ってほしいわけではなく、そんなことをしたら私のメンタルの負担も大きいので、誰彼構わずお知らせするわけではない、ということは間違ってはいないのだけど。でも一方で知らせてあげることができなくて申し訳ないという気持ちも強かった。

もう少し時間が経って気持ちが落ち着いたら、この子のことを語れるようになっていたい。