「誕生日」の意味を生まれて初めて考えさせられた
親しい人から、亡くなった赤ちゃんの誕生日を尋ねられた。
知りたいと言ってくれるのは嬉しいもので、いそいそと答えようとして、はたと疑問を感じた。
お腹の中で亡くなった子にとって「誕生日」って何?
誕生日は通常、赤ちゃんが母胎から出てきた日ということになると思う。出産予定日があるけど実際の出産日は前後するし、妊娠37週目からはいつ産まれてもおかしくない臨月に入るし、もしもっと前に出てきたとしても、とにかくその日が「生まれた日=誕生日」になるのだろう。
しかし、私が経験した死産の場合、赤ちゃんはお腹の中で心拍が止まってしまい、その後、陣痛を誘発して「出産」した。もちろん出てきても呼吸はしていなかった。
「誕生」という言葉に「生きる」という文字も入っている通り、生きて活動しながらこの世に出てきた日が「誕生日」というイメージがあったけれど、私の子が生きていたのは、お腹の中にいたところまでですが??
漢字の意味を調べてみたら、次のように言っている人がいた。
白川静『常用字解』
「形声。音符は延。説文に“詞誕おほいなるなり” とあり、虚誕・妄誕のように、“いつわる、あざむく、うそをいう、おおきい”などの意味に用いる」(中略)
誕は荒誕(でたらめ、とりとめがない)の誕と、誕生の誕が主要な意味であるが、なぜこんな懸け離れた意味があるのか。それは誕のコアイメージと関係がある。「ずるずると延びていく」が誕のコアイメージである。
字源を検討する。誕は「延(音・イメージ記号)+言(限定符号)」と解析する。延は延びるという意味。延びるとは引っ張るようにしてずるずると長く空間を這っていくことである。引き延ばす、ずるずると引いて延びるというイメージである。(中略)この「とりとめがなく、でたらめ」という意味が長期間用いられてきたが、漢(後漢)あたりから「子が生まれる」の意味を持つようになった。一つの理由は音声上の理由がある。「暗い所から明るい所に現れる」ことをtan、danという(旦・丹・但・袒など)。子どもが母胎から生まれるのはまさにこのイメージである。(中略)第二の理由は「ずるずると延びる」というイメージとの関わりである。子が生まれるのは狭い産道をずるずると通って出てくることである。(後略)
驚いた。「誕」にぜんぜん違う意味があった。「言」葉がずるずると「延」びて続いていくところが「でたらめ」ということらしい。もっともらしく喋って相手を騙す詐欺師や、ありえない設定を上手に作り出して笑わせる漫才師なんかが思い浮かぶ。
ずるずる延びる。生き延びる。
お腹から出てきて、これからもずるずる生きていくんだよってことなんだろうか。でも、お腹から出てくる前と後では環境が全く変わるから中締めということで「誕生日」を区切りとする。生まれてきて、これからも生きていくことの区切りの日。出てきた先は、でたらめだらけの世界なんだけれども。
そう考えると、でたらめな世界まではずるずると生きられなかった私たちの赤ちゃんには、「誕生日」を「生まれた日」と考えるのはやはり少し違う気もする。
人に尋ねられたら、「産道をずるずると通って暗い所から明るい所に出てきた日」だし「誕生日」として“出産”した日を伝えようと思うけれども、今のところ、私としては、赤ちゃんの「誕生日」の意味は「私たちと赤ちゃんが初顔合わせをした日」ということかなぁと思っている。
夫に言ってみたら、「相撲か」と言われた。まあでも、裸でがつんとぶつかり合う感じは似てるかもしれない。