ある日、森の中

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『三の隣は五号室』は賃貸ならではの楽しみ方

『三の隣は五号室』長嶋 有 中央公論新社 2016年

三の隣は五号室

三の隣は五号室

 

最近読んで面白かった小説の作者が面白かったと言っていた小説。自分の知っている範囲で選ぶと興味が広がらないし、かと言って表紙とタイトルだけで決めるには本屋に本が多すぎる、と思い、他の人の感想から読む本を決めてみた。

帯の言葉。

傷心のOLがいた。秘密を抱えた男がいた。

病を得た伴侶が、異国の者が、単身赴任者が、

どら息子が、居候が、苦学生が、ここにいた。

ーそして全員が去った。それぞれの跡形を残して。

小さな空間に流れた半世紀、

その一日一日が

こんなにもいとしい。

小さなアパートの一部屋に住んだ歴代さまざまな人たちの生活を描いたお話。さまざまな人たち、といっても、お互いには知らない人同士で、鉢合わせることもない。それが50年続いているという、ひとつの小説にしてはとても長い期間の物語で、このたった1冊に入っているとは信じられない。大きな事件は起きず、私と同じような、でも、全然違う生活が描かれていた。暮らしの様子というのは似てるのに違うって面白い。

私自身、ずっと賃貸暮らしで引越しを何回かした。引越してしばらくは前の住人と思われる名前で郵便が届くことがある(郵便は転送できるので少なくなったけれど、メール便などはまだ届く)。それを見て、前の人はどんな人だったのかなとか、こういうダイレクトメールが届くってことは何が好きだったのかなとか一瞬思うことがあるけれど、この小説は、その「一瞬」をたくさん拾って、広げて、つないだ感じがした。

今の家に引っ越してきたとき、引越業者の逞しい兄ちゃんが、前に住んでいた人が出て行くときの引越を担当した、と言っていたらしい(私は立ち会っていなかったので、後から夫に聞いた)。私たちは冷蔵庫をどこに置くか、引越当日まで決め切れていなかったが、兄ちゃんが「前の人はここに置いてましたよ」と、置き場所の候補にしていたいくつかの場所のひとつを教えてくれたので、同じ場所に置くことにした。前の住人がどんな人か全く知らないけれど、その人(たち)と私たちは、同じ場所に冷蔵庫を置いている。友達や家族とは持つことのできない面白い共通点だと思った。

私が前の住人を知らないのと同じで、私が引っ越した後の住人は私のことを知らないで過ごすのかぁ、とこの小説を読んで気づいた。すごく当たり前のことだけど、今まで考えたことがなかった。何人で住んでいたのか、見ていたテレビ、仕事の内容、起床や就寝の時刻、掃除の頻度、夏に暑くなる前にエアコンが間に合わなくて汗をだらだらかいたこと、夫とふざけて踊っていること、妊娠中に赤ちゃんが亡くなって一ヶ月間家にこもって泣いて過ごしたこと…などなど。私はここで確実に暮らしているのに、引越をしたら一旦綺麗に全部なくなって、また新しい人の暮らしが始まるというのはなんだか奇妙だと思った。でも、前の人はどんな人かなとか、次の人はどうやって暮らすのかなとか考えることは、持ち家ではできない楽しみだとも思った。

 

大学生になったときの一人暮らしのことを思い出した。築二十数年のマンションと呼ぶのが憚られる建物で、1DK、5階建てでエレベーターなし、和室、風呂トイレ一緒、洗濯機は外置き、家賃3万6千円だった。7年住んでいる間に所有者が代わり、アパート名がもとの奥ゆかしい名前から売れない芸人みたいな名前に変わった。住んで4,5年の頃に家賃を調べたら他の部屋は3万2千円に下がっていて、今別の部屋に引っ越したら家賃下がるかなと思ったりした。『三の隣は五号室』を読んで興味が湧いて、このアパートをネットで調べてみた。今では築年数は30年を越えてふっるいアパートになってるんだろうなぁと思ってみてみたら、私が住んでいた部屋ではなかったけれど、空室になっていた同じ階の別の部屋は「リノベーション物件です!!」と掲げられて、風呂トイレ別、洗濯機室内、フローリング、家賃3万9千円になっていた。しぶとい。しかも、よく見たら、築年数が私の年齢と同じ。共にしぶとく生きよう、と今更、愛着が湧いた。