ある日、森の中

思ったこと、考えたこと、調べたこと、経験したこと

母の日と、母でない私

日曜日は母の日だった。

車の点検に行き、ジムで筋トレをやり、伊坂幸太郎の小説を読み、実家の母に電話した。

毎年、母・父の誕生日と母の日・父の日には、プレゼントとかは何もせずに電話をしている。どちらかと言うと私が話してしまうことの方が多く、私の職場の愚痴と、妹とその子ども4歳&2歳のところに連休中に遊びに行った話と、母からは運動のために通っていたプールが今年の秋で閉鎖するのでそのあとどうしようという話があった。

 

結局、今年も自分が子どもとしての母の日だったなと思った。

 

ツイッターで、“天使ママ”も母であるという投稿を見て、そうだそうだとは思ったものの、なんだか実感は持てず、宙ぶらりんな感じだった。

夫が、「お母さん、ありがとうってどっかで言ってるんじゃない?」と言ってくれたけれど、私自身、自分から母に有り難いと思ったのは20代半ばを過ぎてからという未熟っぷりで、ましてや私たちの赤ちゃんは自由気ままに過ごしているわけだから、ありがとうなんてまだまだ思うはずがない、と言い返した。

そして、9ヶ月が経って、ハイハイが上手になったかもしれない我が子が、お空でほかの赤ちゃんたちと楽しく過ごしている様子を想像しようと思って、うまく想像しきれずに、でも可愛いだろうなと思って、涙が出たのだった。

 

 

プリキュア第13話「ララのドキドキ初登校」の感想と妄想

スタートゥインクルプリキュアを毎週見ている。幼稚園に通う姪っ子と話を合わせたいためだ。初プリキュア。第16弾らしい。

今日は、第13話「ララのドキドキ初登校☆」ということで、宇宙からやってきたララが、今までひかる達と接するだけだったけど、なんでだったか同じ学校に通うことになった話だった。

『スター☆トゥインクルプリキュア』第13話「ララのドキドキ初登校☆」より先行カット到着!

『スター☆トゥインクルプリキュア』第13話「ララのドキドキ初登校☆」より先行カット到着! | アニメイトタイムズ

 

文字は読めない、掃除の仕方もわからない、ルールを守れず怒られる、ということで閉じこもってしまうララが、間違いなく学校をこなし、みんなのように喋るためにAIに頼るけれど、ひかるは「間違ってもいいじゃない! そんなの本当のララじゃない」とか言っている間に、カッパードが現れて戦って勝って終わる。最後、登校中のララにクラスメイト2人が、「ルンちゃん」と呼びかけ、「語尾がルンだから」と言って、仲間になった感になってララはひかると初めての日直に向かう、というラストだった。

最後のところ、その仲間の入り方はどうなの? と思ってしまった。みんなと違う外見的特徴(語尾だけど)を、本人と共通理解なしに取り上げるのは、いじりとかいじめにつながる気がする。あと、皆と全く一緒になるというのとは違うけれど、自分ができないことをサポートしてもらうためのツール(ここではAI)はあっても良いと思う。文字を読みにくい子がタブレットを使うとか。ただ、それだけではフォローできない部分は、やはり対人関係、コミュニケーションに依ると思うので、それはララもひかるもクラスメイトも想像力が必要だよね、ということなのかなと思った。

せっかく宇宙人ララが学校に通うという設定なので、もっと同調圧力との葛藤とかその解決を描いてみたら、毎週プリキュアを見ている園児達(そして私の姪っ子)に、「がっこうっていうのはたいへんそうだけど、こうやってかいけつしていけるのだ」と感じてもらえたりしないだろうか。

 

ということで、こんなストーリーはどうだろうと考えてみた。

 

ララのドキドキ初登校☆

ひかる、エレナ、まどか達と一緒に学校に通える! そう意気込んで初登校に臨んだララだったが、掃除の仕方、文字の読み方、授業の受け方、いろんなものがわからず困惑する。滅茶苦茶な方法で取り組むララに対して、「こんなこともできないなんて…」と周りの子が眉をひそめてヒソヒソ、「それなのにエレナ先輩やまどか先輩と馴れ馴れしくお喋りして…」とやっかむ女子達、学校のルールを守れと厳しく迫るクラス委員の姫野城桜子。気にせず話しかけてくるのはノリとテンションで生きてる隣の席の男子、通称カルノリだけ。ララはAIに頼りながら口調を合わせ、掃除をしようとするが、ぎこちなくなってしまう。
そこへ窓から覗くカッパード。

「皆と一緒じゃないと許せない…ククク、その歪んだイマジネーション、頂いた!」

クラスメイト全員を取り込んでノットレイダーに変えてしまう。ひかる達はプリキュアに変身してクラスメイトを救うためカッパードと戦う。ララ、「皆とまだ分かり合えてないルン!」と渾身のミルキーショック!
カッパードは立ち去り、気がつくクラスメイト。机や椅子が散乱し困惑する中、構わずひかるが皆に言う。
「皆、想像してみて! ララはひとりぼっちでこの観星中にやってきて、宇宙…じゃなかった、外国と全然違う生活を送ってるんだよ! ずっとここに住んでる私達には想像もつかないくらい孤独だと思う。違うところもいっぱいあると思う。でも、地球にはいろんな人がいるし、宇宙から見たら私たちとララの違いなんて大したことないんじゃないかなっ☆   私は掃除の仕方を教えてあげるし、ララから私の知らないキラやば〜な世界のことを教えてもらいたいって思うんだ!」
皆ハッとして戸惑いつつ、うつむくララを見て顔を見合わせる。

やってきた担任が教室の惨状に驚いて、午後の授業は中止にするから全員で片付けなさいと指示する。皆で教室を片付ける中、クラスメイトがおずおずとララに掃除道具の使い方を教える。

女子「モップはこうやって使うんだよ」

ララ「わかったルン! …じゃなくて、わかったわ」

女子「ルンでいいよ。なんだか可愛いし!」

女子2「私もそう思ってた!」

女子3「わからないことがあったらなんでも聞いてね!」

ララ「・・・ありがとうルン!!」

見守るひかる、エレナ、まどか。

皆、笑顔。

 

〜完〜

 

まぁ、よっぽどひかるの方が浮いている気はするけど。

 

産休後の昇給がなかったことをどう理解すればいいのか

先日、今年度の給与辞令が出て、昨年度と比較してみたら、今年度の昇給がされてなかった。給与説明会では、基本的には毎年昇給する仕組みという説明があり、2年目だった昨年度は昇給していた。ちなみに、専門職型の裁量労働制を取っている職場です。

時給生活7年、年俸制3年という給与形態から仕事をスタートして、お金の仕組みをその都度自分なりに理解してやってきたけれど(といっても確定申告を一生懸命やるくらいだけど)、正規職員として給料をもらうようになって、死産とそれに関わる産前産後休業などを経て、お金の仕組みが結構難しいと感じている。

 

きちんと理由を聞いてみようと思っているけれど、男女雇用機会均等法によると、もし私が出産(死産)関連で休んだことが評価に含まれるのだとすれば、職場はアウトらしい。

一応、自覚としては何かやらかしたとか問題を起こしたということはない。

私の休業期間は、産前産後休業が8週間と2日、その後32日間の欠勤(産婦人科医師の診断に基づくもの)なのだけど、この32日間が算定に影響した、ということなのだろうか。でも、産婦人科医師による産後のメンタルのことだから、下記の「妊娠・出産に起因する症状により労働できないこと」に含まれる? 

 

婚姻、妊娠・出産等を理由として女性に不利益な取り扱い等をすることは禁止されています。(法第9条)

事業主の以下の行為は禁止されています。

  1. 性労働者が婚姻、妊娠、出産した場合には退職する旨をあらかじめ定めること。
  2. 婚姻を理由に女性労働者を解雇すること。
  3. 厚生労働省令で定められている事由(※)を理由に、女性労働者に対し不利益な取り扱いをすること。

(※)厚生労働省令で定められている事由

妊娠、出産、母性健康管理措置を求めて受けたこと、坑内業務・危険有害業務に就けないこと、産前産後休業をしたこと、軽易業務への転換請求、時間外等就業をしないこと、育児時間の請求・取得、妊娠・出産に起因する症状により労働できないこと・能率が低下したこと

<禁止される不利益な取り扱いの例>

解雇、契約更新をしないこと、契約更新回数の引き下げ、退職・労働契約内容の変更の強要、降格、就業環境を害すること、不利益な自宅待機、減給・賞与等の不利益な算定、昇進・昇格の人事考課の不利益な評価、不利益な配置の変更、派遣労働者勤務の拒否

 

厚生労働省男女雇用機会均等法 育児・介護休業法のあらまし」)

https://www.mhlw.go.jp/bunya/koyoukintou/pamphlet/dl/28a.pdf

 

 

前年度に休みがあることで昇給しないのであれば、もし今年また妊娠したとして(次はなんとか産まれるとして)、

2020年1月〜2020年2月 産休

2020年2月〜2021年1月 育休 (2020年4月 昇給なし)

2021年4月 昇給なし

になってしまうので、3年間据え置きになってしまうということ?! そりゃ困る。女性の社会進出も男性の家庭進出も進まない実態を見た気がした(まだ正確なところはわからない)。 

 

社会保険労務士の方のコラムで見つけたのは下記のような記載。

産前産後、育児、介護休業を取得することによる不利益取り扱いは、法律でますます強く禁止されてきています。
年次有給休暇の取得要件としての「出勤率8割以上」を他の算定要件も同様に取り入れている会社が多くみられます。
ただ、「出勤率8割以上」とだけの要件とするのではなく、就業規則には産前産後、育児介護休業昇給月を迎えた従業員の取り扱い、算定対象期間に休業した期間がある場合に定期昇給をどう扱うかについても明確に規定しましょう。

育児休業中に到来した昇給月、昇給できるの? | ついき社会保険労務士事務所

 

出勤率に産前産後休業はカウントされないようなので、32日間の欠勤は8割以下のはず、で合ってるのか?   「明確な規定」が職場にあるのかどうか自分が把握していないことが問題だ。というか、職場の就業規則がオープンにされていない気がする。多分これが一番問題だ。裁量労働制という形態が影響しているのか? 規模はそこそこ大きいのだけど、就業規則や給与規定って知らされないのおかしくない?(今更…) 

ネットで見られる範囲で調べると、昇給自体に規定はなく個々の会社に任されているところもあるようだし、私の現状とぴったり合う事例がよくわからないので、個別に解決していかないといけないようだ。

何か全然違う理由の話だったらどうしよう、とも思いつつ。

ああ、気が重い。

 

怒りの気持ちに振り回されない宣言

職場に復帰して3月まで仕事量はそんなに多くなかったけれど、4月になり年度が新しくなったので仕事が元通りになってきた。これまでのように自分一人あるいは少人数だけで終われることは減り、他の人々に関係したりお願いしたりすることも増えてきた。それに伴って、効率的でない仕事、目的のわからない打ち合わせ、はっきりしない上司、好き嫌いはっきりしすぎる同僚、曖昧な体制、曖昧な言葉・・・要するにイラっとすることが増えてきた。隣と比べて少人数の部門でまとまらないといけない場面もあると思うのだけれど、そうもいかないことが多い。何でそういう言い方するかなーとか、文句ばかり言っても仕方ないのに何言ってんのとか、思いつつ、飲み込み、引き受けられることは引き受け、やりとりする。人相手の仕事なので、お客さんとのやりとりが難しいことは仕方ないと思うのだけど、職場内でもモヤモヤするのはしんどい。

そんなことを続けていたら、また歯を噛み締めることが増えたのか、顎周りが痛くなった。肩や首に痛みは感じていないけれど、たぶん、これは気を張って気づけていない部分もある。マッサージしてもらうとだいぶ張っていると言われても自分ではわからない。

これはいかんと思い、1ヶ月ぶりに鍼灸院に行った。「職場で腹が立つことが増えて・・・」と話しながら鍼をしてもらいながらちょっと冷静になって考えてみた。

 

周りの人達に腹が立って、歯を噛み締めて、自分に痛みを増やして鍼治療に来るって、なんかおかしい。というか、無駄。「それって何のミーニングがあるの?」と私の中で、別の私が呟く。

周りは思う通りにならない。怒りを感じるのは相手に期待しているから。「こうして欲しいのに!」と思うほどに、そうならないギャップに自分が苦しくなってしまう。

相手に要求するのは、まるで晴れた日に両手を空に向かって振り上げて「雨よ降れ!!!」って叫ぶようなものさ。そんなバカげたことってあるかな? 雨が降り始めないからってカンカンになるなんて。

『自分の怒りをしずめよう:子どものためのアンガーマネジメント・ガイド』

 アンガーマネジメントについては知っていたはずなのに、ついつい自分の感情に巻き込まれてしまっていた。あぶない、あぶない。

以前、旦那さんとの関係で怒りまくっていた妹に、「相手に対して期待せず、ほどよい諦めを…」と言ったら「何で私が我慢しないといけないのか!」と逆に怒られたことがあったけれど、我慢というか、これ以上、相手のことでエネルギーを割いていくこと自体が無駄、という感じだ。相手の行動は変えられない、変えられるのは自分の行動だけ、なので、相手はこういう人だと割り切って自分ができることを淡々とやるしかない。相手はどういう人なのか、状況はどうなのか、ということを理解しないといけない分、私の認識の変容が求められるところはちょっと大変だけれども、負の感情に巻き込まれてしんどい思いを続ける方がもっと大変になる気がする。自分の怒りに人を巻き込んでしまっても面白くないし、対立に巻き込まれるのはもっとよろしくない。どうせエネルギーを向けるならもっと面白そうなことに向けたい。歯を食いしばるなら、自分の子どものことを思って泣きたい。私がすべきなのは、人々との摩擦にイライラすることではなくて、自分の仕事、全体の仕事をいかに効率的・効果的に終わらせるか、ということだ。

 

そんなことをいろいろ考えた鍼だった。とは言え、またイラっと反応することはあるだろうけれど、次は一瞬だけ冷静になれると信じよう。

鍼もよく効いている。

 

連休は嬉しいけど去年を思い出して憂うつにもなる

連休の予定が何もない。7連休くらいにはなりそうなのに。

去年のこの頃、連休はつわり真っ只中で、妊娠4ヶ月を過ぎると落ち着く人もいます、というたまごクラブの説明も虚しく、毎日吐いていた。胎動もまだ感じておらず、ただただ自分が気持ち悪い状態が続いているだけで、何のためにこんなにゲロゲロなのかよくわからなかったけど、「来年の連休はきっと今までとは全然違う連休になっているに違いない」と思ったことは覚えている。もちろん、産まれた子どもを世話している、という意味で。

30代が半ばを迎えるにつれて年々仕事が増えて、それだけでも限界と思っていたのに、子どもを育てるというのはどんな仕事よりも大変らしい・・・と知って、1年は育休としてもその後は仕事と育児が20年くらいは続くのかぁと覚悟していた。人混みが苦手なので連休に出かけるなんて狂気の沙汰と思っていたけど、子どもがいたらそうも言ってられないのだなと妹家族を見て頑張ろうと思ったりした。

 

思い出して悲しくなることは死産直後からいろいろあった。

膨らんでいないおなか。

購入してあった赤ちゃん用品、もらったチャイルドシート

使わなくなった母子手帳

そもそも家自体、一人増えてもいいように引っ越したこと。

赤ちゃんの足型を取ってもらっていたので、お風呂に入った後に湯気で自分の足跡が床についたのを見て泣いたこともあった。今思うとよくわからん感じもあるけれど、きっかけがたくさんあったのだ。

 

そんなことを思い出すので、連休は嬉しいけど憂うつだ。

 

「去年の今頃はこうだったのに」と思うことが増える。

今を生きろ、今を。

『親の「死体」と生きる若者たち』を読んだ:きょうだいの配偶者の私

タイトルと表紙が印象的だった。

親の「死体」と生きる若者たち

親の「死体」と生きる若者たち

 

 

50代のひきこもりの人と、80代のその親が、社会的に援助を受けられないまま孤立、困窮してしまうという「8050問題」について、新聞記事などからの実態や、著者が実際に支援で関わった人たちとの出来事、当事者の人たちから著者に宛てられた手紙などで構成されている。

読みながら、「えええ、何言ってるの?!」と驚かされたり、つい叱咤激励したくなる気持ちになったり、いやでもそんなことしても意味ないだろうなと引っ込めたり、「なんでその展開?」と想像しきれなかったり・・・気持ちが忙しくなる本だった。

 

「家にこもる」ということ自体は日常的な経験として私にもある。ただ、私は外に出るための活力を得る、という選択肢として「家にこもることができる」のだけど、ここに描かれていたのは、「家にこもらざるを得ない」人たちだ。どんなことも一択になってしまうとしんどい。その選択そのものに加えて、「それしか自分にはないんだ」ということに追い詰められるのだと思う。

 

私たちが今生きている社会には「そうせざるをえなかった人たち」が生きています。

だからこそ、そうせざるをえなかったことに対する理解が必要なのです。

私たちは今、そんな時代を生きているのです。 (p208)

 

これは、他人事ではない。夫のきょうだいがまさに社会生活から孤立した状態で、親と暮らしているからだ。

年齢は「8050」よりはもう少しまだ若いけれど、なかなかの膠着状態で動きが見えない。期間的には、20年にはならないかな…というくらいで、だいぶ長い。住んでいる場所が新幹線を使うくらいには離れているので、直接会うことは多くないけれど、年末年始などで会う時には、時間の流れてなさを感じる。夫の両親も親の会に参加するなどされているけれど、なかなか思うようにはいかないようで、横から話を聞くだけの私は、難しいんだな、と思っている。

当事者の会、親の会、そしてどうやら、きょうだいの会、というのもあって状況を共有したり助言したりするみたいなのだけど、「きょうだいの配偶者」ってどうなんでしょう。原家族と同じレベルでなんとかしようと動く余裕はないし、多分その必要もないのだろうと思っている。力になれるところはなりたいけれど、家族丸抱えは、行政や福祉や医療の手が届かない人たちの現在の結果である「8050問題」を増幅させ続けるだけになってしまう。かと言って、何もしないでうまくいくことでもない。でも、今のところはなんとか生活が回っているので、現実味を帯びていないように感じる。私自身は、夫から話は聞いているし状況もなんとなく知っていて、不安があるけど、何を心配すればいいのか正直よくわからない。

ということで、私の「きょうだいの配偶者」としての結論は、サポートの上限を決めておくこと、でも一時的に金が必要になれば出せるようにしておくこと、夫がもし(一時的に)実家に行かなければならない事態になっても良いように私が仕事に就くこと、なのだけどどうだろうか。(子どもがいたら状況が変わるかも)

 

それにしてもこの表紙、手前に親(の死体)が寝ているのだろうなぁ…と想像させる空白に迫力がある。

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www.nikkei.com

www8.cao.go.jp

死産のこと9:復職後の生活

死産から7ヶ月経った。ぼちぼち過ごしている。

人から「元気?」と聞かれたら、「そんなに元気じゃないです」と正直に答えている。言わずに察してくれるような人は私の周りには多くない。

 

4ヶ月目(復職直後)

復職初日、年配の職員の方が私を見かけて「聞きました。私、なんて言ったらいいかわからないけど、何かあれば、いつでも来てくださいね」と言葉を詰まらせながら言ってくれた。関わりが多く、信頼している方なので、とても嬉しかったし、朝から涙が出た。でも、それ以外の職員では状況を知っている人と知らない人が混在していて、というか、知らない人の方が多くて、私を見かけると、笑顔で「産まれました?」とか、(復職には早くないか…?)と疑問な表情で「もういいんですか?」などと聞かれることが最初の1週間は続いた。職場の特性上、きっとちゃんと伝わってないだろうとわかっていたので、途中から「いやそれがですね実は…」と説明する言葉を台本のように決めて話していた。心構えて説明してやる分には、そんなに困らなかった。

上司はできることからやってくれれば良いと言ってくれたし、仕事は多くなく結構マイペースでできたので、8時半出勤16時半退勤を貫いた。それまで、妊娠中ですらだいたいオーバーワークだったのでこんなに定時勤務したのは人生初かもしれない。

朝、掃除のおばちゃんに挨拶されたり、帰るときに警備のおじさんに優しい笑顔で「おつかれさまー」と声をかけられたりすると、涙をこらえるのが大変だった。どちらも妊娠中にも気遣ってもらっていた人たちだった。仕事上つながりのある人だけでなく、直接仕事とは関係のない、でも職場の環境を支えてもらっている人たちというのが大事なんだとわかった。

また、大変今更ながらという感じだったけれど、子の名前を決めた。それまで、いくつか候補は出していたけれど決め手がないまま、馴染みのある妊娠中の呼び名で呼んでいた。ちょうど年末で帰省をしたり、心配してくれていた友達に会いに行ったりする機会があったので、報告できるようにちゃんと決めた。狭いお腹→狭い棺、寒い中の待機からの火葬、となかなかヘビーな環境を過ごした子なのでほどよいあたたかさと広さをイメージした名前にした。人気のある名前は時代に不足するものを反映している、などと言われるけれど、確かにそうかもなと思った。

 

5ヶ月目

「妊活を再開しないとなー」と思っただけで涙が出ることが続いた。年齢も30代後半なので、悠長に悲しみに浸っている余裕はない!と頭では考えているのだけど、気持ちが追いつかないようだというのがわかった。ずっと一人でモヤモヤしていたのだけど、これはいけないと思って、夫に、妊活しないととは思うのだけど考えただけで涙が出るのだ…と伝えてみた。すると夫も、実は自分も似たような感じを持っている、と話してくれた。今は焦らなくて良い、と共通理解をすることができた。もし今後、妊活ができなくてもこの人と一緒に子どもを育てる別の方法を考えることはできるだろうし、2人でもたぶん楽しく暮らしていけるだろうと思った。

 

6ヶ月目

首と肩と肩甲骨がめちゃくちゃ痛くなって、鍼に行った。悲しみが体の痛みとつながっているということを以前書いた。復職後から泣くのを堪える機会が増え、歯を食いしばる機会が増え、痛みが増したのだろうと思っている。

たくさん泣くことは減ったけれど、それでも家に帰って突然泣くことはあった。まるで死産直後の時のように。何が悲しいなんて言語化するより前に涙が出ていた。

 

7ヶ月目

流産・死産・新生児死を経験した人たちの集まりに参加した。半年前はなぜかそんなものに絶対行くもんかと思っていたけれど、1回くらい行ってみてもいいかなという気持ちになった。人は変化する。当日は7,8人のグループで話をした。何回か参加してるっぽくて慣れているっぽい仲良しっぽい人たちが先にいたので、やべー入れんと思ったけれど、初参加で同じくらいの時期に死産を経験した人もいて、なんとかとどまることができた。1時間くらい話をしてみて、自分とは違ういろんな考えや気持ちや経験の人がいること、職場など周囲の人の理解の違いできっとこちらの感じ方は大きく変わるんだろうということ、などを感じた。こういう当事者のグループに参加して、自分の話をするのは良いなと思った。また気が向いたら行ってみたい。

ショッピングセンターに行くことがそんなに苦ではなくなってきた。ていうか行ってる。3,4ヶ月目の頃は赤ちゃんが目に入るのがしんどかったけれど、最近はそうでもない。もちろん、全く平気でもないけれど、うつむいてスーパーを早足で回るようなことはしなくても大丈夫。時間が経つって偉大だな。でも最近は、「産まれてたらもう生後半年か…」と思うことが増えたので、ちょうどそのくらいの子を見ると、ちょっと悲しくなる。こうやって、見ると悲しくなる子どもの年月齢が成長していくのだろう。

ここに来て新しいことを始めた。スポーツジムに入会したりオンライン英会話を再開したり。仕事も増えてきて、自分が活動的になり過ぎていることを感じる。単に妊娠前の状態に戻りつつあるのかもしれないけれど、どちらかというと、半年間の抑うつの時期を過ぎて、軽躁状態に転じたという気もする。行動は増えているけれど、帰り道に気持ちが落ちる。自分が心配だ。

 

これからのこと

4月に入ったら、本当に仕事が通常運転に戻ってしまう。でも、夫と遊んだり子の写真を眺めたりしてゆっくりする時間も持ちたいと思っている。最近見つけた小さな喫茶店で本を読んで過ごすとか。

たまに泣く時間もあるだろうし、あっていい。