ある日、森の中

思ったこと、考えたこと、調べたこと、経験したこと

『親の「死体」と生きる若者たち』を読んだ:きょうだいの配偶者の私

タイトルと表紙が印象的だった。

親の「死体」と生きる若者たち

親の「死体」と生きる若者たち

 

 

50代のひきこもりの人と、80代のその親が、社会的に援助を受けられないまま孤立、困窮してしまうという「8050問題」について、新聞記事などからの実態や、著者が実際に支援で関わった人たちとの出来事、当事者の人たちから著者に宛てられた手紙などで構成されている。

読みながら、「えええ、何言ってるの?!」と驚かされたり、つい叱咤激励したくなる気持ちになったり、いやでもそんなことしても意味ないだろうなと引っ込めたり、「なんでその展開?」と想像しきれなかったり・・・気持ちが忙しくなる本だった。

 

「家にこもる」ということ自体は日常的な経験として私にもある。ただ、私は外に出るための活力を得る、という選択肢として「家にこもることができる」のだけど、ここに描かれていたのは、「家にこもらざるを得ない」人たちだ。どんなことも一択になってしまうとしんどい。その選択そのものに加えて、「それしか自分にはないんだ」ということに追い詰められるのだと思う。

 

私たちが今生きている社会には「そうせざるをえなかった人たち」が生きています。

だからこそ、そうせざるをえなかったことに対する理解が必要なのです。

私たちは今、そんな時代を生きているのです。 (p208)

 

これは、他人事ではない。夫のきょうだいがまさに社会生活から孤立した状態で、親と暮らしているからだ。

年齢は「8050」よりはもう少しまだ若いけれど、なかなかの膠着状態で動きが見えない。期間的には、20年にはならないかな…というくらいで、だいぶ長い。住んでいる場所が新幹線を使うくらいには離れているので、直接会うことは多くないけれど、年末年始などで会う時には、時間の流れてなさを感じる。夫の両親も親の会に参加するなどされているけれど、なかなか思うようにはいかないようで、横から話を聞くだけの私は、難しいんだな、と思っている。

当事者の会、親の会、そしてどうやら、きょうだいの会、というのもあって状況を共有したり助言したりするみたいなのだけど、「きょうだいの配偶者」ってどうなんでしょう。原家族と同じレベルでなんとかしようと動く余裕はないし、多分その必要もないのだろうと思っている。力になれるところはなりたいけれど、家族丸抱えは、行政や福祉や医療の手が届かない人たちの現在の結果である「8050問題」を増幅させ続けるだけになってしまう。かと言って、何もしないでうまくいくことでもない。でも、今のところはなんとか生活が回っているので、現実味を帯びていないように感じる。私自身は、夫から話は聞いているし状況もなんとなく知っていて、不安があるけど、何を心配すればいいのか正直よくわからない。

ということで、私の「きょうだいの配偶者」としての結論は、サポートの上限を決めておくこと、でも一時的に金が必要になれば出せるようにしておくこと、夫がもし(一時的に)実家に行かなければならない事態になっても良いように私が仕事に就くこと、なのだけどどうだろうか。(子どもがいたら状況が変わるかも)

 

それにしてもこの表紙、手前に親(の死体)が寝ているのだろうなぁ…と想像させる空白に迫力がある。

f:id:harufuku:20190414100014j:plain

 

www.nikkei.com

www8.cao.go.jp

死産のこと9:復職後の生活

死産から7ヶ月経った。ぼちぼち過ごしている。

人から「元気?」と聞かれたら、「そんなに元気じゃないです」と正直に答えている。言わずに察してくれるような人は私の周りには多くない。

 

4ヶ月目(復職直後)

復職初日、年配の職員の方が私を見かけて「聞きました。私、なんて言ったらいいかわからないけど、何かあれば、いつでも来てくださいね」と言葉を詰まらせながら言ってくれた。関わりが多く、信頼している方なので、とても嬉しかったし、朝から涙が出た。でも、それ以外の職員では状況を知っている人と知らない人が混在していて、というか、知らない人の方が多くて、私を見かけると、笑顔で「産まれました?」とか、(復職には早くないか…?)と疑問な表情で「もういいんですか?」などと聞かれることが最初の1週間は続いた。職場の特性上、きっとちゃんと伝わってないだろうとわかっていたので、途中から「いやそれがですね実は…」と説明する言葉を台本のように決めて話していた。心構えて説明してやる分には、そんなに困らなかった。

上司はできることからやってくれれば良いと言ってくれたし、仕事は多くなく結構マイペースでできたので、8時半出勤16時半退勤を貫いた。それまで、妊娠中ですらだいたいオーバーワークだったのでこんなに定時勤務したのは人生初かもしれない。

朝、掃除のおばちゃんに挨拶されたり、帰るときに警備のおじさんに優しい笑顔で「おつかれさまー」と声をかけられたりすると、涙をこらえるのが大変だった。どちらも妊娠中にも気遣ってもらっていた人たちだった。仕事上つながりのある人だけでなく、直接仕事とは関係のない、でも職場の環境を支えてもらっている人たちというのが大事なんだとわかった。

また、大変今更ながらという感じだったけれど、子の名前を決めた。それまで、いくつか候補は出していたけれど決め手がないまま、馴染みのある妊娠中の呼び名で呼んでいた。ちょうど年末で帰省をしたり、心配してくれていた友達に会いに行ったりする機会があったので、報告できるようにちゃんと決めた。狭いお腹→狭い棺、寒い中の待機からの火葬、となかなかヘビーな環境を過ごした子なのでほどよいあたたかさと広さをイメージした名前にした。人気のある名前は時代に不足するものを反映している、などと言われるけれど、確かにそうかもなと思った。

 

5ヶ月目

「妊活を再開しないとなー」と思っただけで涙が出ることが続いた。年齢も30代後半なので、悠長に悲しみに浸っている余裕はない!と頭では考えているのだけど、気持ちが追いつかないようだというのがわかった。ずっと一人でモヤモヤしていたのだけど、これはいけないと思って、夫に、妊活しないととは思うのだけど考えただけで涙が出るのだ…と伝えてみた。すると夫も、実は自分も似たような感じを持っている、と話してくれた。今は焦らなくて良い、と共通理解をすることができた。もし今後、妊活ができなくてもこの人と一緒に子どもを育てる別の方法を考えることはできるだろうし、2人でもたぶん楽しく暮らしていけるだろうと思った。

 

6ヶ月目

首と肩と肩甲骨がめちゃくちゃ痛くなって、鍼に行った。悲しみが体の痛みとつながっているということを以前書いた。復職後から泣くのを堪える機会が増え、歯を食いしばる機会が増え、痛みが増したのだろうと思っている。

たくさん泣くことは減ったけれど、それでも家に帰って突然泣くことはあった。まるで死産直後の時のように。何が悲しいなんて言語化するより前に涙が出ていた。

 

7ヶ月目

流産・死産・新生児死を経験した人たちの集まりに参加した。半年前はなぜかそんなものに絶対行くもんかと思っていたけれど、1回くらい行ってみてもいいかなという気持ちになった。人は変化する。当日は7,8人のグループで話をした。何回か参加してるっぽくて慣れているっぽい仲良しっぽい人たちが先にいたので、やべー入れんと思ったけれど、初参加で同じくらいの時期に死産を経験した人もいて、なんとかとどまることができた。1時間くらい話をしてみて、自分とは違ういろんな考えや気持ちや経験の人がいること、職場など周囲の人の理解の違いできっとこちらの感じ方は大きく変わるんだろうということ、などを感じた。こういう当事者のグループに参加して、自分の話をするのは良いなと思った。また気が向いたら行ってみたい。

ショッピングセンターに行くことがそんなに苦ではなくなってきた。ていうか行ってる。3,4ヶ月目の頃は赤ちゃんが目に入るのがしんどかったけれど、最近はそうでもない。もちろん、全く平気でもないけれど、うつむいてスーパーを早足で回るようなことはしなくても大丈夫。時間が経つって偉大だな。でも最近は、「産まれてたらもう生後半年か…」と思うことが増えたので、ちょうどそのくらいの子を見ると、ちょっと悲しくなる。こうやって、見ると悲しくなる子どもの年月齢が成長していくのだろう。

ここに来て新しいことを始めた。スポーツジムに入会したりオンライン英会話を再開したり。仕事も増えてきて、自分が活動的になり過ぎていることを感じる。単に妊娠前の状態に戻りつつあるのかもしれないけれど、どちらかというと、半年間の抑うつの時期を過ぎて、軽躁状態に転じたという気もする。行動は増えているけれど、帰り道に気持ちが落ちる。自分が心配だ。

 

これからのこと

4月に入ったら、本当に仕事が通常運転に戻ってしまう。でも、夫と遊んだり子の写真を眺めたりしてゆっくりする時間も持ちたいと思っている。最近見つけた小さな喫茶店で本を読んで過ごすとか。

たまに泣く時間もあるだろうし、あっていい。

ジムに行き始めた。運動は嫌いだけど応援されると嬉しい。

ジムに行き始めた。私の中では革命だ。

小学校の頃からマラソン大会では学年でビリから3番目、スキーに行けば転んだ記憶しかなく(小学生ながらにスキーは最初で最後だと思い今も貫いている)、中学校では何故かバレーボール部に入ったものの殆どマネージャー業をして過ごし、クロールが前に進まず下に沈んでいくばかりで憂鬱だった水泳は高校のプールが工事中だったので万歳三唱、その後は運動とは縁のない生活を送っている。たまに思い立ってウォーキングしてみたりするけれど、雨が降ったらその日で終わり。

でも、快便のためには運動が必要と鍼で助言され、お金払えば続くかもと思って、えいやとジムに入会した。筋トレだったら運動神経関係ないし。

とにかく10年くらい前に買ったジャージを着て行ってみると、筋骨隆々としたお兄さんが「フオウ!! アァー!!」とか言いながら重そうなバーベルを持ち上げているし、お腹と足が綺麗な曲線美のお姉さんがセクシーにストレッチしているしで、間違えたーと後悔した。後日、私くらいの中肉中背なおじさんおばさんも見つけて安心したけれど、おばさんがなんかものすごい筋トレしていたので、油断できない。

あっという間に一人では無理だと思って、単発のパーソナル・トレーナーを申し込んだ。

なんとかインストラクターとかなんとかトレーナーというたくさんの資格をもっている逞しいトレーナーさんは、「便秘解消」を第一目標に掲げている運動したくない奴の話を丁寧に聞いてくれた。マシンの使い方、意識する筋肉、イメージすべきこと等々を超早口で話しながら、私にとってちょうど良い負荷を教えてくれた。「あーもう無理ぃ」と思うとすぐにそれを察して「あと3回いきましょう!」「できましたね!」と応援された。

 

・・・という経験をして思ったのが、個別に自分に合わせてくれる存在というのは心地良い、ということ。「応援される」というのは嬉しい。自分も仕事柄、個別に人の相談に乗るということはよくやってきたけれど、鍼で体の調子を相談し、ジムで運動の仕方を相談するということをしてみて、改めて実感した。自分のために個別に専門の人との時間をとるということは重要だ。自分のやっていることは目標に適っているのかなーという不安が軽減されるし、みんなあんなムキムキですごいなーという周りを気にしてしまう雑念をちょっと減らせる。「応援される」っていうことも貴重だった。何事も自分で頑張れたら誇らしいけれど、そうもいかないことだって多い。ギリギリのところを汲み取ってもらえる心地よさよ! 

一方で、それには安くない費用がかかっている。本当は最初からパーソナルトレーニングのジムに行きたかったけど、回数多く行こうと思うと本当にお高くなるので断念した。今のジムはほどほどの月会費で、単発・有料でトレーナーを依頼できる。1時間数千円を高いと思うか安いと思うかは個人による。この前、駅で見かけた美容ホワイトニングの歯科(デンタルクリニック)のキラキラした看板に、「完全個室!」という案内と万単位の値段が書いてあったのはたまげた。個別対応の価値は人それぞれだから値段もいろいろになる。

私は、大人になって自由に使えるお金が多少増えて、自分のためにお金を払って人に自分が必要なもののオーダーを組んでもらえるって幸せなことだなと感じている。

 

お金を使うこと自体にすぐ「勿体ない!」と思ってしまうけれど、この「個別に相談できる心地よさ」は結構人生を豊かにしてくれる気がしたので、大事にしたい。というか、現状、DINKSまっしぐらなので、自分のためにお金と時間を使わないと!

 

ということでジム継続と体力向上を頑張ります。

お腹痛い

1ヶ月くらい腹痛が続いている。

痛いときも痛くないときもあるし、ご飯を食べた後に痛いこともあるし痛くないこともあるし、便秘っぽいときもあるし(といっても長くて2日くらい)、その後には全部出る。割と確実なのは、ご飯を食べた直後に横になると気持ち悪くなったり少し吐いたりすることだ。胃がうまく働いていない気がする。

この1年、妹の夫が大腸がん、大学の同期が乳がんになるということが続けて起こり、血縁関係は全くない人たちなので私に影響することはないとわかっていても同世代が続けてがん発症という衝撃は大きく、たぶん死産後からの情緒不安定も手伝って、何か物凄く悪い病気なのではないかという不安が高まって胃腸科を受診したところ、レントゲンを撮られ、

「ここ一帯がうんこ、これとこれがガス。うんことガスが溜まりすぎ。腸を動かすのが下手ってことね」

と言われた。私にはレントゲン写真は判別できなかった。胃に関しては、腸がうまく動いていない影響だと言われ、漢方薬と薬を2つ出された。一つは胃炎に対する薬、もうひとつは整腸作用とあったけれどネットで見たら神経症における抑うつ・不安を和らげると書いてあった。昔から緊張するとお腹をこわす自分としてはまあ同じようなもの。

 

その日はもともと鍼も予約日だったので鍼でも相談した。 

鍼灸師が私のお腹をペコペコ押さえて、

「これはガスだな…これもガス…これは便かな」

と腹の中のうんことおならの存在を確認された。鍼灸師ってすごい。腸に効く鍼を追加してもらった。

しかし、鍼に行った直後は調子がいいけれども、結局そのあとはやっぱり痛かったり痛くなかったり。首肩の痛みが鍼で良くなってきたと思ったら、今度は腹痛が続く。

死産後の影響なのか。それとも別の何かなのか。

今日もお腹痛い。

死産や出産に意味づけはしなくていいと思った件

 「自分の死産には何か意味があったのだろうか」

 「意味があったと思いたい」

という意見を聞いた。

流産、死産でしんどい、でもこの悲しみを乗り越えることに意味があると思えたら・・・という苦しさのぎりぎりの中での考えだったと思う。言葉そのものがその人の悲しさや前を向こうとする踏ん張りを示していた。

あの時のあの苦しい経験を乗り越えたから今の自分がある、ということを耳にすることはある。つらい現状がのちの自分の糧になっているはずだと考え方を切り替えることは、ストレスに対する認知的アプローチになるのだと思う。

 

さて、自分はどうだろう、と考えてみると、

「自分の経験した死産に意味などいらない」

という結論に至った。死産だけでなく出産にも妊娠にも、それ自体に意味はないのではないか、と今のところは思っている。

 

仕事柄、親や子どもの援助に関わる機会が多い。そのため、復職した時、「そういう(死産という)経験をして気持ちがわかってくれる人がいると、親御さんも良いのではないか」と言ってくれる人がいた。そのときはそうかなぁーと思ったけれど、時間が経つにつれ、違和感が大きくなった。私がお腹の子を亡くした意味はそんなところになくていいと思った。

どんな対人援助職者でも被援助者本人と同じ経験をすることはできないし、する必要もないと思う。同じ経験をしていなくても、相手を理解しようとしたり、必要なサポートを提供したりすることは可能なはず、というか、可能にしなくてはならないと思う。特に、対象が「気持ち」の場合、相手の気持ちを理解する・共感するという日常的にも行われることなので、ある経験をしていると相手を理解しやすい=仕事しやすい、と思われるのかもしれないけれど、日常的なことと仕事として行うこととは区別する必要があると思う。経験者同士が理解し合うのはピアサポート・ピアグループが活躍する分野だ。援助者・被援助者として援助を行うなら、援助の仕方は体系立てて知識として理解しておくべきだし、経験者でないとわからない、という状態であるなら知見が足りないということなのだろう。

もし仮に、この死産を機に私がものすごく人の痛みがわかるプロフェッショナルになったとしても、それは単に結果であって、死産があったことで(おかげで)意義ある成長をしたなどとは思いたくもなく、そんな成長いらないんでなんとか生きて産まれてきてくれた方が良かったです、と言いたい。

 

逆に出産についても、「私たちを選んで産まれてきてくれた」的な意味づけもきっと違うのだろうなと思う。親子であることが重視されすぎて、自分が頑張らねばと思いすぎてしまう育児の大きな負担や、リスクの高い親を離せないことによる虐待といった悲しい出来事を見聞きすることはあるけれど、親子という近い距離だからこそ起こることでもあると思うので、周囲からは勝手に意味を与えたりしないで、淡々と客観的に判断していった方が助けになることもある。周囲にできることは、本人の話を聞くこと、選択肢を増やすこと、支援体制を整えること、だろうか。

だいたい、「選んで産まれてくる」のであれば妊娠途中で亡くなってしまったのは何なのか、ということを考えてしまう。選ぶのやめたってこと?! そんなバカな。

 

とはいえ、本人が意味を感じることは自由だし素晴らしいことだと思う。例えば、親本人が「この子の親となれて良かった。私の人生に意味が生まれた」と思うことや、子ども本人が「この親の子どもで良かった」と思うこと。死産についても、経験した本人が意味を見出すことは意義あることだと思う。私自身ももしかしたら20年くらいたったらそのように考えるようになるかもしれない。

(ただ、それを相手(親子間であっても)に押しつけてしまったり第三者から言われたりすると期待や不安や悲しみが大きくなりすぎて苦しくなるかもしれない)

 

ということで、今は、意味なんてないな、と思うことの方が救われる。

『十四番目の月』を読んだ:子育てを支えるもののことを考えた。

『十四番目の月』(海月ルイ文藝春秋)を読んだ。

十四番目の月 (文春文庫)

十四番目の月 (文春文庫)

 

 

どんな話かも全く知らず、作者についても何も知らない(今も)。ただ、市立図書館に行ったら、今月の特集が「夜」で、そこに並べられていた何冊かの中で一番表紙がきれいだったので借りてみた。

関係ないけど図書館の特集コーナーはいい。自分で本を選ぶといつも同じ作者・同じ系統のものを選んでしまうから、ときどきこうして図書館の人たちが作ってくれたコーナーから適当に借りていくと、全然知らない本を読める。自分の好みに合わないこともあるけれど、今回みたいに読み始めたら一気に読み進んでしまう本に出会えることもある。

 

タイトルや装丁のイメージと違って、読み始めたらミステリー小説だった。最後に作者の経歴を読んだら、ミステリー大賞を受賞している人だった。

 

最初の事件がテンポよく進むのに引き込まれて、そのあとは、人や環境(店とか家の中とか)が丁寧に描写されているのをイメージしながら読むのが面白かった。どんな人や場所なのか外見を描写でイメージできて、内面や気持ちを感じ取れる小説が好きだ。

 

ここには、いろいろな「お母さん」が出てくる。そして、立場は違えど、ちょっと足りないとか、不全感とか、子どもへの罪悪感とか、何かしら十分でない感覚をみんな持っている(樹奈は自覚しているかわからないけれど)。話の中で起きる事件も事故も出会いも、みんな、その「あともう少し」の感覚に関連していたと思う。奈津子は幼い我が子を夜遅くまでベビーホテルに預けること、早苗は息子がかつていじめられていたこと、梓は自分の身体機能のこと。皆、一生懸命やっているのに不全感(梓は完全に喪失感)が拭えないというのが流れているように感じた。それがタイトルである『十四番目の月』=満月にあと1日満たない月、にも表れている。

現実的には、たぶん、どのお母さん(保護者)も「あともう少し」と思い悩みながら子育てをしているのではないだろうか。

 

話の中では父親の存在感が全くなく、なんなら母親を傷つける立場としてしか出てこなかったけれども、お母さんの不全感を極端に表現した結果だろう。本当なら、頑張っても頑張ってもどこか不全感を抱えてしまうお母さんに対して「大丈夫だよ」と言ってくれる仲間であってほしい。

 

「子を想う母」がメインのテーマだったのかなと思うけれど、私としては、子どもを支援し、親をサポートする立場である保育士が、親子を傷つける対象として描かれているのが興味深かった。父親や家族以外でお母さんの「あともう少し」を埋めてあげられるのは、外部の人というか、多くは保育・教育・福祉といった子どもに関わる専門家なんだよなぁ、と思う。専門家がもっている知識や現実的なサポートが「あともう少し」を埋めていく。愛情とか気合いとか根性ではない。受容や共感は大事だけれど、これ自体は専門家側のスキルに基づく態度なので知識や現実的サポートに含まれると思う。

反対に言えば、子育てをする人たちに「あともう少し」という思いを強めるのも外部の人だと思う。世間体みたいな目に見えないものから、身近な人たちの言葉まで。だから、「もっと愛情をもって接してあげて」「気合いが足りない」のような、知識や現実的サポートを生まないアドバイスは役に立たないどころか害になる。

小説は、保育士の知識もサポートが全くない、ていうか全然仕事してないということが事件につながっていて、こんな保育士いてくれるなと心の底から思うけれど、ここまでいかなくても保育士等の子ども支援者の言動1つ1つに保護者が追い詰められたり励まされたりすることはあると思うので、専門性を保つことは、母親(保護者)の「あともう少し」を埋めるものだよなと改めて思った。そして、そのためには支援者側の組織の体制が整っていることは必須。

 

保育士や教師の育成や研修に関わることがあるので、専門性が担保されるように仕事していかなくては、と改めて思う。

 

同時に、自分自身が死産を経て、元気に産むことができなかったとか、これから子どもを産めるのかなとか、そういう「あともう少し」を抱える身となったので、これから出会うかもしれない医療等専門職の皆様には、なんとか支えていただきたい。

『ナナメの夕暮れ』を読んだ:自分の自意識過剰のこと

若林正恭『ナナメの夕暮れ』(文藝春秋)を読んだ。

 

オードリー・若林の存在は知っていたけれど、エッセイが面白いらしい、という誰かのコメントを読んで、『社会人大学人見知り学部卒業見込』、『表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬』と続けて3冊読んでみた。確かに面白い。芸能人のエッセイというのを初めて読んだので、テレビで好きで見ている芸能人の日常が面白いということと、『表参道』はただの旅行記ではなかったことやもう会えない人に想いを馳せた言葉に引き込まれた。『ナナメの夕暮れ』は『社会人大学』の続き(継続していた連載エッセイ)ではあったけれど、『社会人大学』の頃ほど斜に構えていられなくなった(大人・おっさんになった)自分のことを書いていて、自意識過剰な自分を赤裸々に吐露するだけでなく、そんな自分を少し冷静に引いたところから見られるようになったことまで書くなんて、すごいなーと思った。しかもそれが文筆業だけで暮らしている人ではなく、(芸や台詞で作り込んでいるとはいえ)テレビで姿を晒している人だ。

「こんなこと言ってしまったけど皆に何と思われているのか、そういうのはいらないですよとか思われてる気がする」と、仕事をしながら“みんな”や“評価”にビクビクしつつ、いまだにビクビクしてるのもどうなのと堂々巡りをしている三十代後半には勇気が出る。

 

書き下ろし部分の「ナナメの殺し方」が面白かった。

  • 自分の好きなものを見つける、書き出す、好きであることを肯定する。
  • 自分の尊敬する人について肯定する。
  • 自分の周囲の人について肯定する。
  • 世界を肯定する。

 グランデという人を否定するのをやめれば、自分がグランデと言っても否定してくる人がこの世からいなくなる。

 否定してくる人がいない世界なら、朝気持ちよく起きることも全然可能なのだ。  (p157)

 

これを読んで、以前、早朝にウォーキングをしようと思った時のことを思い出した。

ちょうど良い公園などがなかったので、住んでいる地域の住宅街を歩くしかなかったのだけど、ウォーキングなんてしているのを、このジャージを、寝起きに近いすっぴんと髪の毛を、変に思われないだろうか、という不安に襲われた。冷静に考えれば誰も私のことは見ていないのだけど、これが自意識過剰というやつだ。

それで、私は、普段外出時にしている眼鏡をかけないで歩くことにした。眼鏡なしだと道や車はわかるけれど、すれ違う人の表情などははっきり見えない。不思議なことに、周りの人がはっきり見えなければ、自分のことが見られているという感じがなくなり、自分が歩くことだけに集中できるようになった。

多分、他の人を見ているから、周りからも見られているような気になってしまう。意識はしていないけれど、もしかしたら私は、人を見ているだけでなく、何かしらの判断もしているのかもしれない。「走ってるけど遅いな」とか「派手なジャージだな」とか。そんな判断が、自分がウォーキングするときにすれ違う人々から投げかけられている気がしていたので、まずは自分が周りを見ない、ということには効果があったのだと思う。周りを見ない、なんて独りよがりな感じだけれど、この場合、現実的に人を見ないことは、自分の中で人から向けられると思い込んでいる批判を見ない、という形を作り出していた。すでに始まっていた独りよがりを止めるための方法が、現実的に人を見ないという謎なスタイルになった。

でもこうして自分が歩くことそのものに集中できると、他に歩いている人を好意的に見ることができたし、走っている人など尊敬できた。派手なジャージは問題ではないことがわかった。

自意識過剰をのさばらせないためには、集中(エッセイでは「没頭」を挙げている)と客観視(自分で判断しすぎない)なのだと思う。

 

・・・これを書きながらも「『ナナメの夕暮れ』と全然関係ないことを書いていると思われるんじゃないか」という不安がむくむくと湧き上がる。大丈夫、これは私が文章を書く練習の場なのだと書くことに集中し、今月のページビュー数はずっとゼロだからそもそも何かを思う奴自体がいないと客観視を自分に促す。

人を気にする不安は、結局、自分の中にある。