ある日、森の中

思ったこと、考えたこと、調べたこと、経験したこと

悲しみが歯を通じて体の痛みにつながっていることを実感した

肩も首も肩甲骨も痛すぎて鍼灸院に行き始めた。

もともと、肩凝りはあれど自覚することができず、美容院でマッサージしてもらうたびに「頭も肩も凝ってますね」と指摘されて、「はぁそうですか」と言うばかりで十数年過ごしてきたけれど、この2ヶ月くらい、凝りを通り越して激烈に痛い。寝起きに肩が上がらない。ぴりぴり、ズキズキする痛み。原因と思われるパソコン作業は働き出して以降、妊娠前・中ともずっと多い方で、復職後は寧ろ減っているのに何故?!と思いつつ、7,8年前に寝違えた時に鍼をしてもらったら一晩で治ったことを思い出して、近所の鍼灸院を探して予約した。

きれいで、鍼灸師さんが何人かいて元気のある鍼灸院。

問診票に痛みの部位や時期など記入。欄外に、「最初はお話を伺います。一見、痛みと関係のない質問と思われることもあるかもしれませんが、原因を探るためにお聞きすることがあります」というようなことが書いてあった。実際に、若くて優しそうな担当のお兄さんが40分もかけて話を聞いてくれた。痛みの場所、程度、時期などを聞かれ、時期的には完全に死産+産休の後だよなと思いつつ、言おうかどうしようか迷いつつ、最近の出来事として簡単に話をした。お兄さんは「それは大変でしたね。その時は悲しいこともたくさん感じられたでしょう」と言い、ストレスが原因となる痛みの話をしてくれた。私は肩凝りがスタートだと思っていたけれど、ストレスが原因の場合、上下の歯を噛み締めていることで、首、肩に余計な力が加わって痛くなることがあるという。「歯を噛み締めるなんて大袈裟な」と疑問を呈したら、上の歯と下の歯が触れ合っていること自体が力が入っているのだと教えてくれた。通常、歯は離れているものらしい。

ということで、鍼のスタートは顎の両側(耳の下あたり)と“全身の気の流れを良くする”という手のツボからだった。私の主訴は首肩および肩甲骨だったので意外。見立てはストレスによる歯の噛み締め、ということ。

後頭部と首にもしてもらい、初回終了。

上下の歯を噛み合わせないように気をつけることとストレッチが宿題となった。

 

気をつけて生活してみると、たしかに私の歯はふれあっているのが常のようで、離すよう意識すると違和感があった。夫は普段、歯は離れているというので、やはり力が入っているのかもしれない。

 

そんな気づきを伝えつつ、2回目も顎と手と首、肩に鍼を刺された。

朝起きて肩がつらいのはだいぶ良くなった。

ただ、上の歯と下の歯が触れ合っているのは、どうやら長年の習慣っぽいので、なんで今、こんなに痛くなっちまったのか…加齢かよ…と思っていた次の日。

 

復職してからも、たまに、仕事帰り等に突然泣ける日がある。特に普段のルーティンとは違う仕事があった時が多いけれど、そうでなくても急に泣けたりする。生理周期と関係するような気もするし、しない気もする。だいたい帰り道で、その日も運転中だったのでいかんと思って、ぐっとこらえた。

そこでハッと気づいた。

 

ぐっとこらえてる時に、めっちゃ歯ァ食いしばってる!!

 

ずっと家にこもっていた産休期間はこらえる必要がなく、好きなだけ泣いていたけれど、仕事が始まってからはそうもいかない場面も増えた。人と関わる時は笑顔も作るし、「調子はどう?」と聞かれればとりあえず「ぼちぼち大丈夫です」と答える。幸いなことに私の周りには「自分のペースでいいよ」と言ってくれる人が多く、仕事自体、まだ自分でペース配分できる時期なのでそこまで無理はしていないはず。それでも急にわーっと泣けたり、何もしたくなくなったり、落ち込んだりしている。

そんな時に、私は知らないうちに歯を食いしばっていた。

ああ、体に痛みが出るほどまだ悲しいのだな、と気づかされた。

心と体はつながっているとはいうけれど、こんなつながり方を実感するとは思わなかった。つらさに耐えることの比喩で「歯を食いしばる」という表現があるけれど、これはそのまま体の表現でもある。「飲み込めない(理解できない)」「腑に落ちる(納得する)」といった心身両義的な言葉を使って体と心を理解しようとした『心の消化と排出』(北山修)が思い出された。

 

もし、流産死産を経験した人で(そうじゃなくても大きな悲しみを経験した人で)、体の痛みが現れた、強まった、という人は、放置せず、鍼でもマッサージでもとにかく休憩でもいいから、体のメンテナンスをしてほしい。泣ける時間を作ってほしい。

体をいたわることは心を癒すことにつながっていく。

スーパーホテルが好きだ

出張に来ている。

ホテルはいつも自分で手配することになるのだけど、私はスーパーホテルが好きだ。

せっかくなのでスーパーホテルの好きなところをスーパーホテルで書いてみる。

 

一時期、アパホテル東横インに泊まっていた時期もあった。行く地域にスーパーホテルがなかったことが続いたからだろうと思うけれど、覚えていない。でも結局はスーパーホテルに戻ってきた。

アパホテルはちょっとラグジュアリーすぎる。それにあの折り鶴がいけない。あるって知ってるけど、部屋に入ると鶴に一瞬和むような気にさせられてしまう。そしてどうすればいいのかいつも困る。部屋に置いてあるアパホテル創業漫画も泊まる度に懲りずに読んでしまう。時間が無駄だ。それなのに、なんで「アパ」なのか未だに知らない。

東横インはシンプルだ。つまり、おじさん感がある。私もすでにおばさんなことは認めるけれど、それでもおじさんにはまだ至りたくない。私の父が出張には東横インが好きなあたり、おじさんを虜にしている。名前もちょっとクラシックだ。

 

スーパーホテルは名前が潔い。すごい感じを出すために「スーパー」ってつけたに違いない。サイヤ人が進化すればスーパーサイヤ人だし、セーラームーンだって、セーラームーンスーパー、セーラームーンスーパーズとスーパーがタイトルに2回続けてついた時がある。そのまっすぐな感じがいい。スーパーマン、スーパーマーケット、スーパーホテル

スーパーホテルは、ロハスを主張するだけあって、木のぬくもりっぽさを出してくる。安心のニトリ感がある。ロハスがなんだかいつも理解していないけれど、地球を大事にするということなんだろうと思う。エコじゃなくロハス。連泊の時は部屋掃除を拒否すると健康深層水がもらえる。私は今、環境保全に貢献しているのだ。

「健康朝食」がいい。多忙なビジネスパーソンは朝食が大事(私はビジネスパーソンでもないけど)。ホテル泊で朝ごはんコンビニのパンだと安くて済むけどちょっと淋しい。でも朝、朝食会場まで降りていくと、他にも一人で泊まっているらしいビジネスマンや、受験生とその親みたいな人や、若い夫婦とかがいて、一緒に健康を保つべく朝食を食べていると思うと寂しくなくなる。単に朝食つきのホテルに泊まったのではない。「健康」のための朝食を選んだ人たちだ。もはや同士だ。野菜のドレッシングがたくさんあるところもいい。だいたい柚子なんとかみたいなのを選んでしまうからこんなにたくさんなくてもいいけれど、選択肢があると思えることは大事だ。言うまでもなく焼きたてのパンも美味しい。朝から菓子パンを3つも食べることができる。コンビニのパンは大きいのでそんなには食べられない。それでも食べすぎとはわかっている。出張から帰ってきて太ってたらスーパーホテルのせいです。コーヒー用の紙コップも「間伐用木材を使っていてロハス」だ。

部屋に入るとすぐ、スリッパを履き始める玄関的な線があるのもいい。ホテルではきっとみんなスリッパ履いてるだろうと信じて、ときどき風呂上がりに裸足になってしまうけれど、実は私以外はくつで室内で過ごしていたらどうしようと言う不安がないわけでもない。でも、スーパーホテルは「ここからスリッパになろう」と言う線が引いてあるから、たぶん皆室内ではスリッパになっているとより強く信じることができる。しかもスリッパはマイナスイオンが発生する健康スリッパだ。健康は足元から。靴下はいててもマイナスイオンは取り込めるのだろうか。

温泉もある。ユニットバスでお湯に浸かれなくもないけれど、大きいお風呂はやっぱりいい。肩までつかると出張で慣れないところに来た疲労がスッキリなくなる気がする。このまま明日の用事もなくなればいいと思うけど、温泉にそこまでの効果はない。でも今回のスーパーホテルは残念ながら温泉のない「一部地域」だったので、ユニットバスでお湯をためたのだった。

 

宿泊アンケートにスーパーホテルが好きな気持ちを書こうかと思ったけれど、「アンケートをフロントにお持ちいただくとお菓子をプレゼントします」とあって、お菓子が欲しくてアンケートに答えたと思われるんじゃないかというくだらないプライドが邪魔をしたので、ここに書いてみた。

スーパーホテルで働く皆さん、いつもありがとうございます。

www.superhotel.co.jp

死産の入院中に読めたらよかったと思った冊子

死産と知らされた時、私も夫も死産について何も情報を持っていなかった。私自身は入院中は自分で調べることすら怖くて(調べなかったからといって状況が変わるわけでもないのに)、いつもお世話になっているGoogleを開くこともなかった。

でも、今思うと、読むか読まないかは別として、死産がどのようなもので、入院中は何を実施する予定で、退院後どうなるのかという情報があったらよかったなと思う。

退院後はネットで色々見てはいたが、個人のブログ・体験談が多くて、それも参考にはなったけれど、もうちょっと“情報”的なものが欲しいなと思った。

それで行き着いたのが、以下の2つの冊子。どちらも自分で取り寄せた。

 

『大切なお子様を亡くされたご家族へ』(流産・死産経験者で作るポコズママの会)

500円(冊子賛助金)

pocosmama.jp

 

会の設立者・冊子の監修者からのメッセージ

赤ちゃんとのお別れ

  • 流産・死産時の手術や分娩について

退院後の体の回復と生活Q&A

ココロについて

ご家族・周囲の方へ

これからの人生について

  • 流産・死産を経験した方達のメッセージ

 

『悲しみのそばで ー死産・新生児死亡で赤ちゃんを亡くしたご家族へー』(聖路加看護大学 看護実践開発研究センター 天使の保護者ルカの会)

1,296円 + 送料 648円

www.amethyst.co.jp

第一部 はじめの週に

  • からだへの影響、感情、入院中にできること、葬儀・供養の方法、法律・社会保険上の手続き、解剖について

第二部 退院したあとに

  • 赤ちゃんについて語ること、どこに救いを求めるか、パートナーと語ること、父親、祖父母、友達、きょうだい、記念日、赤ちゃんの思い出づくり

地域でのこころのサポート

  • セルフヘルプグループ、インターネット情報、カウンセリングが受けられる施設の紹介

 

『大切なお子様を〜』は、最後の体験者のメッセージが泣ける。泣けるので3ページしかないのにまだ全部読めていない。そうか、こんな気持ちでこれから生きていくのかもなと思う。体験者がメッセージを寄せてくれた時点で、流産・死産からどのくらいの年月が経っているのかがわかると、これからの気の持ちようについて指針のようになるのではないかと思う。私自身、死産直後は泣きまくって、これいつまで続くのかなぁなどということも心配だった。少しだけれど、医療従事者へのアドバイスも書いてある。

 

『悲しみのそばで』の方が具体的な情報が多い。Stillbirth and Neonatal Death Societyという、イギリスの妊娠中や誕生直後の赤ちゃんの死に対する支援の団体の冊子を元にしているよう。最後の自助グループやサイトの案内は話したい親にとってとても有効だと思う。ただ、「カウンセリングが受けられるところ」は限定的すぎやしないかとは思う(山王教育研究所の代表は河合隼雄氏ではないし)。でも現状ではカウンセリングを希望する場合、医療機関が多いだろうから敷居は高そう。しかも、流産・死産のことをわかるカウンセラーがどのくらいいるのだろうか。

 

どちらも少ないページで可愛らしくまとめてある小冊子。体験談などまとめた書籍もあるけれど、入院期間中に読むには量が多そう。まだ私は読めていない。

産婦人科には、(閲覧のみでも買取でもいいから)こういう小さな冊子があってほしい。

手紙を出したりもらったりする楽しみ

昔から手先を動かした作業をするのが好きだった。中高生の頃はアニメの下敷きを見て描き写すことにハマり、大人になってからいらいらしたときに切り絵をすると集中できて落ち着くことに気づいた。文字を書くのも好きで、遡ると保育園の年長さんの時から日記を書いていた。小学校では1年生の時は日記が宿題だったので書いていたが、2年生以降、宿題ではなくなったのになぜか毎日提出していたらしい。担任もさぞめんどくさかっただろうと思う。

それで、産後休暇中に日々泣いていることが少しおさまってから、友達に手紙を書いた。これまでも、旅行先でポストカードを買って書いて出すことくらいはしていたが、便箋を使って手紙を書くのは久しぶりだった。手紙を書くのは時間がいるから、仕事で忙しいような感じになっていたこの数年間はゆっくり手紙を書く時間をとれていなかった。

LINEで「元気になってきたよ」と送ればそれで済むことではあるけど、時間があるし、手紙を書きたいと思った。でもその割に、気の利いた文章を書けるわけでもないので、最近の様子をただ書いただけだった。

しばらくしたら友達が返事をくれた。心配してくれていることが伝わってきた。LINEやメールと違って、出されたのは前日か前々日、書かれたのは出したその日かもしれないしもっと前かもしれない。つまり、今から1日か2日前、相手は私に宛てたこの文章を書くのに少し時間を作ってくれたのだなぁと思った。

お互いに手紙が入れ違ってしまうこともあった。LINEでもたまにあることだけど、相手を思って連絡するタイミングが重なるということは不思議なことで、ちょっと嬉しい。LINEだと「今かぶったね」と重なったこと自体を共有することがその場でできるけど、手紙はそれができない。というか、「私も昨日投函したからたぶんかぶっちゃったよね」とLINEで送りたい気持ちをぐっとこらえる。「ああ、今頃、相手のところにも手紙が届いているだろうなぁ」と想像するだけだ。手紙の場合、手紙を書こうと思う、便箋を探す、書く、宛先を書いて切手を貼る、投函する、とやることがたくさんあるので、少なくともこの1,2日間は相手と似たことをしてたんだなぁと想像することも面白い。

手紙とは関係ないけど、プレゼントをもらうことが嬉しい理由のひとつは、相手が私を思ってプレゼントを準備してくれたのだ、と想像することにあると思う。逆に、選ぶことの楽しみは受け取る相手を想像すること。

少しずつ元気になってきて、仕事にも復帰して、LINEでのやりとりがまた増えてきた。タイムラグの少ないやりとりは便利で、面白いことをすぐに共有できるので、これはこれで欠かせないけれども、手紙を書きながら相手のことを思ったり自分のことを振り返ったりして、忘れた頃にまた相手から返事が来るという、時間差というか空白のあるやりとりは嬉しい。少なくとも、その時間分は私は楽しく過ごしていけると思う。

死産のこと8:退院後の生活

無事に出産していても生活はがらりと変わったと思うけれど、無事に出産できなかった私も生活は大きく変わった。今のところ、少しずつ良くなっているとは思う。死産直後からの過ごし方でよかったと思うことを書く。

 

1ヶ月目

とにかく泣いていた。泣こうと思っていないのに涙がずーっと出ていた。人間ってこんなに泣けるんだなと驚いた。亡くなっているとわかった日から連続で28日泣いていた。この「泣く」ということを思う存分できたのがよかったと思う。親から実家でしばらく過ごしたらという提案もあったけれど、同じように悲しいはずの夫を一人にしておくことはできないと思ったのと、見栄っ張りなので人がいると泣くのを多少セーブしてしまうだろうと思ったので、自宅で過ごすことにした。人に依るのだろうが、一人がよければ一人で、実家がよければ実家で過ごして、感情をたくさん出して過ごすのが良いのだろうと思う。

産後は少なくとも1ヶ月程度はホルモンバランスが崩れた状態と何かで見たので、29日目に初めて1日も泣かずに過ごした日は、ああホルモンバランスが治ったのか、ホルモンに振り回されているのか、とも思った。生理の時も思うけれど、少し悔しい(そのあとも泣くことはあったので別にホルモンだけのことではないが)。

家事はほとんど何もできなかった。夫が仕事から帰ってきてからご飯を作ってくれたり買ってきてくれたりしたのも良かった。ご飯を作るとかは脳のメモリをかなり使う作業だと思うので(何作るか計画したり必要な食材を買ってきたり)、できなかったと思う。唯一できたのは皿を洗うことで、ご飯を食べたあとに皿洗いだけはしていた。この時期に頑張らなくて良かった。

こんな日々だったけど、朝起きる、ご飯を食べる、風呂に入る、歯を磨く、夜布団に入る、といった日常生活の動作はなんとかやっていた。風呂に入るのが面倒と幾度となく思ったけど、ご飯は作らなくていいという夫が風呂には入ったほうがいいと言い、それに従っていたのは良かった。生活を崩さなくて済んだ。

 

2ヶ月目

泣くのが少し減ってきた。なんとなく「少し元気になろう」と決めて、それまで敷きっぱなしだった布団をたたんで過ごすようにした。たまにまた横になって1日過ごすこともあったが、基本的には起き上がって過ごした。家から5分くらいのコンビニや郵便局に、2,3日に1回くらい一人で外出するようにした。初めて1人で出かけた日は、コンビニに行って帰って10分くらいだったが、帰って来てからなぜか泣いた。家から外に出るとたくさんの刺激があって、エネルギーを使うことなんだな、と知った。

友達に手紙を書いたり、本を読んだり、自分の好きなことをするようになった。自分の好きなことで穏やかに時間を過ごすことは良かった。ただ、ときどき、なんでもできるような気がしてきて、明日はアレをしようかコレをしようかと話していると、夫に「急にいろいろやろうとしすぎてるんじゃない?」と言われて我にかえることがあった。1ヶ月目が抑うつ的だった分、やや躁的になっていたのかもしれない。

突然、眠れなくなることが続いた。寝つけなかったり、寝ても2,3時間で目が覚めてずっと眠れず朝になったりしていた。泣いて眠れないこともあればただ起きているだけのこともあった。眠れなくても次の日にどうせ予定はないので昼間寝ればいいやと思って過ごしていたら2週間くらいで眠れるようになった。食欲は変わらなかったし、気持ちは少しずつ回復している感じがあったので気にしなかったが、続くようなら医者に行く必要があったのだろうか。

産後休暇が終わるけれども職場に戻れるととても思えなかったので、上司と産婦人科に相談して診断書を出してもらい、あと1ヶ月休むことにした。上司や総務との連絡が疲れたが、ここをやらないといけないので気合い入れて電話などした。一応、気合いを入れることはできるようになったなと思った。

 

3ヶ月目

泣くことは少なくなった。スーパーに買い物に行ったり、夫と映画を観に行ったりして、外出が増えた。赤ちゃんが目に入らないように、見ても感情が揺さぶられないように無表情・無感覚で過ごす状態を身につけた。実家にも少し帰った。姪っ子(2歳&4歳)の世話をして子どもに慣れるようにしてみた。歩けるくらいの幼児(1歳半以降くらい)は大丈夫なことが多いけど、それ以前の乳児は見るのも結構しんどいということがわかってきた。新生児は完全に無理。

ずっと心配してくれていた友達に電話した。それまでLINEなど文章のやりとりはしていたけれど、直接話をすると泣きそうだと思って連絡できていなかった。友達が私のペースでLINEや電話に付き合ってくれて良かった。

医者を予約しようとしたとき、今日が何曜日か間違えることが続いた。そもそもそれまで何曜日か意識せずに過ごしていたから気にならなかったが、間違えるということは何曜日か気にしているということで、外に出る準備状態なんだろうかと思った。2ヶ月目は「職場復帰なんて無理ぃぃぃ」という感じだったが、3ヶ月目は「仕事行きたくねーなー」という感じだったので、まぁ戻る分には戻れるのだろうと思った。一応、確認というか練習をしようと思い、休みの日に夫にも付き合ってもらって職場まで行ってみたのは良かった。事情を知っている事務の人に偶然会えて、心の準備ができた。

 

今のところ良かったところ

周囲の人たちが、私のペースを最大限尊重してくれたことが最も良かった。もし、周りに死産をした人がいてどうすればいいだろう…と聞かれたら、私の場合は何もせず本人が動くのを待ってもらえるのが良かった、と答えると思う。早くからがんばりすぎない。ただ、家族など本人の日常生活を間近で見ることができる人から見て、食欲と睡眠がずっと少ないとか、2-3ヶ月経っても最初と変わらないペースで泣き腫らしているとか無気力のままとかだったら医療機関受診を考えるだろうけれど。

日々、赤ちゃんの写真を眺めたり声をかけたりしている穏やかな生活になるのに3ヶ月くらい。本当に落ち着くにはもっとかかりそうだ。

『Learn Better』を読んだ“だけ”ではよりよく学べるようにはならない

『Learn Better 頭の使い方が変わり、学びが深まる6つのステップ』(アーリック・ボーザー著、月谷真紀訳 英治出版 2018)を読んだまとめ。

結局は得た知識をいかに使っていくかということで、「よりよく学ぶ」ことができるということになる。知識や事実はどの人にも同じだけど、どう使うかは人によって違うはずだから、「よりよく何を学んでいくか」は変わってくるのだろう。ということで、このまとめは私にとってのこの本からの学びです。

 

イントロダクション

印象的だったのは、インターネット時代の知識や事実の位置付けについて。

しかし、事実情報を得ることは出発点にすぎない。学習に取り組む際には関係性を理解する、つまり原因と結果を見きわめ、類似性に気づくことも必要だ。とどのつまり、学習の目的はある事実や概念についての考え方を変化させることであり、学習にあたってめざすのは思考の体系を学ぶことなのだ。(p21)

 結局、調べりゃすぐわかるから知識はなくていい、などということはなくて、学ぶということの根幹が知識や事実ということのようだ。

 

第1のステップ 価値を見いだす Value

学ぶモチベーションを保つためには自分にとっての意味をその中に見つける必要がある。

人はこう感じるべき、こう考えるべきと指示されると、脅されているとか過剰に管理されていると感じかねないからだ。

それよりも、活動の意味を自分で見つける必要がある。つまり、価値は人から発して対象物に、個人から発して知識やスキルに反映されるものでなければならない。「学習することと自分自身の生活の間に、そういうつながりをつけるのが重要なのです」とフルマンは語った。(p39)

社会的ネットワークもモチベーションの一種であり、自分はどこにも属していないと感じる学生はモチベーションがかなり低く、一般的に学業もふるわない。具体的には、クラスに友達がいる学生は友達のいない学生よりテストの得点が高くなりやすい。(p56)

頭を働かせる「活動」にしていく必要があり、その良い例としてそろばんをイメージした計算(暗算)が挙げられていた。昔習っていたそろばんにはそんな効果があったのか。

私がこの本を読もうと思ったのは、どうすればよりよく学んでもらえるようになるのだろうか、という教える側の立場としての関心だ。

 

第2のステップ 目標を決める Target

学習の最初の段階では「プロセスをしっかり管理する必要がある」とのこと。

何を学習するか、学習するにはどのような計画を立てるべきか、の二点だ。(p86)

学習の遂行のために必要な感情として挙げられているのが「自己効力感」だ。

自己効力感は一般的な自信とは異なる。自尊心の問題ではない。限られた特定のタスクをやりとげられる、これからやろうとしていることで良い結果を達成できるという信念を核とする概念だ。(中略)あるタスクをやりとげられると信じていれば、努力を注ぎやすい。自己効力感が大きいほど、目標を達成し、結果に満足する確率も高まる。(p123)

つまり、教育する側にとっては、いかに「やりとげられると信じられる」課題を設定していくかということが重要ということだと思う。

 

第3のステップ 能力を伸ばす Develop

著者自身がバスケットボールを40代で習ったときの経験談がわかりやすく必要なことを示唆している。「モニタリング」と「フィードバック」だ。

モニタリングについては、減量と体重維持に必要な「食日記」と並べている。

なにがしかのスキルを伸ばすためには、今ある知識を知り、何を変える必要があるかを知らなければならないのだ。(p147)

適切な「フィードバック」は、学習者の不足を伝え、学習者自身に考えさせることを含む。適切なフィードバックをくれる人(先生)がいないのであれば、カリキュラムの改善や良い教科書を求める方が良いという。

では質の悪いカリキュラムとはどんなものか。フィードバックがお粗末で、練習問題と教科書は生徒に単純に答えを与えてしまい、思考を組み立てることを促さない。質の低い教科書はテーマの扱いが広く浅くになりがちで、一つのテーマでみっちりと練習を積むことができない。(p151)

しかし、良い教科書を見つけることも難しいよね。

 

第4のステップ 発展させる Extend

もっと具体的な例として、要約、つまりある概念を自分の言葉で言い換える行為を考えてみよう。学習という活動をしていると、一連の質問を自分に問いかけないわけにはいかない。「重要なのはどこか?」「この概念をどう言い換えできるか?」。このような問いかけは重要だ。もっとも大事な概念を要約することによって、その概念への理解が深まり、その概念に意味が生まれる。この行為は成果に明確なプラスの効果をもたらすことがわかっている。(p189) 

つまり、得た知識を自分なりに使ってみるということだと思う。その一例として「人に教える」ということの効果が挙げられているが賛成できる。相手が何を知っていて、どのように伝えれば良いか、自分なりに得た知識を組み立て直す必要があるからだ。一番身についているのは教師ということになる。学習者がお互いに教え合うというやり方をし始めると、内容はよく身につくようになるのではないだろうか。こうやって自分でまずは印象に残ったところを書き出してみるということだけでも、読んだだけの状態とはだいぶ違う(気がする)。

 

第5のステップ 関係づける Relate

リッチランドは長年にわたり数学から歴史まで幅広い学問分野を調査したすえにこの考えに至り、知識習得とは突き詰めれば知識構造同士のつながりを理解することである、と証明した。「高次思考力の土台にあるのは結局、関係性を推論する力なのです」。(p230)

「対象を丸暗記するだけではいけません」とリッチランドは語った。「効果的な学習を行うためには、原因、類似点、相違点を探すべきです」。(p231)

この本に書いてあることは、以前読みかけた『学生を自己調整学習者に育てる』という本に書いてあった内容と似ているなと思い、類似点や相違点を探そうと続きを読もうと思ったがなんだか集中して読み切れず、再度断念してしまった。モチベーションの問題だと思う。

 

第6のステップ 再考する Rethink

知っていると誤解してしまうこと、つまり「過信」の危険性を説明している。TEDトークのわかりやすさは私たちにわかっているのかわかっていないのかわからなくさせてしまうと述べている。

つまり自分がわかっているかどうかがわからないとしたら、わかっていない場合もそれがわからないわけで、当然ながら簡単に見えるものを人は勉強しようとしない。単純でわかりやすく見えるものに対して、人はあまり努力しない。(p282)

ということは、人に教えるときにあまりにもシンプルにわかりやすいように伝えてしまうと、その後の自己学習を妨げてしまうということか。だいたいわかったけど、詳細をもっと知りたいと思わせるというのが良い学びということだろう。

 

興味深かったところ

スマートフォンの良さと弊害についても述べられていた。知識をすぐに得られることは良いこと。しかし、何かに集中することには弊害があるという。

携帯電話は「あるだけで」集中力を減退させることがわかっている。つまりテーブルに置いたiPhoneが視界に入っているだけで、タスクへの集中力が低下する。(p319)

これは、スマホやPCが特異的にそうだということなのだろうか。それとも学習と関係ない、しかしネットにはつながることのないもの(たとえば派手なペンケースとか)も視界に入ることで集中力を低下させるのだろうか。元の論文を読まないとわからないのだろうな。

死産した年の喪中葉書と思ったこと

死産を経験した人の多くが出会うであろう問題に私も出会った。

年賀状どうするか問題。

そして、多くの人がそうしたであろうように私もネットで調べまくった。そもそも、成人してからは幸いなことに周囲がピンピン生きているので、喪中葉書そのものを出したことがなかった。

 

一般的に「喪中はがき」と呼ばれているものは、正式には「年賀欠礼状」と言います。これは喪中の期間のお正月に、新年を喜ぶ挨拶を控えることを詫びるものです。

喪中はがきというと、自分が喪中であることや、自分の家に不幸があったことを知らせる訃報のはがきと思っている方もいますが、本来は、「喪中のため、今年は新年のお喜びをお伝えできませんので、失礼いたします」という趣旨の挨拶状なのです。

喪中のマナー | ゆうびん.jp

 

 

喪中葉書は、「新年の慶びを伝える気にならないので賀状は出しませんが悪しからず」という意味らしい。それは全くその通り。別に何も出さずに受け取って寒中見舞でもいいかなと思ったけれど、子どもが産まれそうな人たち、去年産まれた人たちがたくさんいるので、子どもの写真付き年賀状が届くことを阻止する目的の方が大きいとも思った。もちろん、相手から年賀状が届いたとしてもそれは相手の都合なのでこちらが責めることではない。ただ、去年の年賀状を引っ張り出してきて確認しているだけでも、赤ちゃん写真集と化した年賀状の束を見るのはしんどかった。

年賀状を出している相手を次の3つに分けた。

  ①死産したことをすでに報告した人

  ②妊娠は知っているけど死産は知らない人

  ③妊娠していたことすら知らない人

①はほとんど親しい友達で、近すぎて年賀状のやりとりすらしていない人もいた。もうここはLINEでお知らせしてよしとした。

②は仲の良い友達先輩後輩で、妊娠中に会う機会があった人たち。もうすぐ産休なんだーというタイミングで会った人もいた。メールやLINEでお知らせもできただろうけど、なんとなくできないまま年末に近くなってしまったので、今回お知らせすることにした。葉書の本文テンプレートに加えて「誕生を予定していた第1子がおりましたが、残念ながら元気にこの世に出てくることが叶いませんでした」と書いた。

③は詳細を記載せず、「喪中のため新年のご挨拶を失礼させていただきます」とどこかのテンプレートの通りに書いた。ただ、③の中に、最近直接会ったりやりとりしたりはしていないけれど、お世話になった大好きな先輩がいて、この人には知ってもらいたいし、そういうお知らせをしてもたぶん受け取ってくれるだろう、と思い、②のような文面で送った。

 

最近はFacebookやLINEの一斉送信などで駆逐されつつある年賀状らしいけれど、私は、普段なかなか会えない人たちに近況をお知らせできるいいタイミングだと思って、年賀状には力を入れている。印刷のみとか印刷プラス一言ではなく、近況を結構書くので、受け取った人たちから「インパクトがある」「毎年楽しみにしてる」と言われて調子に乗って続けている。もともと手紙を書くのが好きということもある。仕事先に義理で出す分はない。

そういう状況の中、喪中葉書を作りながら考えたことがある。

もし来年や再来年に子どもを授かるような幸運に恵まれたら、私はそのことを年賀状で報告するだろう。では、今回産まれてくることができなかった子のことは? なぜ私はこの子のことを喪中の理由として知らせてあげないんだろう? 祖父母などが亡くなった時の喪中葉書には、「祖母クマ子が九十歳で永眠いたしました」などと書くのに、どうして私はこの子のことを全員に書かないんだろう?

そんな疑問が喪中葉書を作っている間中、ぐるぐるしてしまった。もちろん、関わる人全員に知ってほしいわけではなく、そんなことをしたら私のメンタルの負担も大きいので、誰彼構わずお知らせするわけではない、ということは間違ってはいないのだけど。でも一方で知らせてあげることができなくて申し訳ないという気持ちも強かった。

もう少し時間が経って気持ちが落ち着いたら、この子のことを語れるようになっていたい。