ある日、森の中

思ったこと、考えたこと、調べたこと、経験したこと

手紙を出したりもらったりする楽しみ

昔から手先を動かした作業をするのが好きだった。中高生の頃はアニメの下敷きを見て描き写すことにハマり、大人になってからいらいらしたときに切り絵をすると集中できて落ち着くことに気づいた。文字を書くのも好きで、遡ると保育園の年長さんの時から日記を書いていた。小学校では1年生の時は日記が宿題だったので書いていたが、2年生以降、宿題ではなくなったのになぜか毎日提出していたらしい。担任もさぞめんどくさかっただろうと思う。

それで、産後休暇中に日々泣いていることが少しおさまってから、友達に手紙を書いた。これまでも、旅行先でポストカードを買って書いて出すことくらいはしていたが、便箋を使って手紙を書くのは久しぶりだった。手紙を書くのは時間がいるから、仕事で忙しいような感じになっていたこの数年間はゆっくり手紙を書く時間をとれていなかった。

LINEで「元気になってきたよ」と送ればそれで済むことではあるけど、時間があるし、手紙を書きたいと思った。でもその割に、気の利いた文章を書けるわけでもないので、最近の様子をただ書いただけだった。

しばらくしたら友達が返事をくれた。心配してくれていることが伝わってきた。LINEやメールと違って、出されたのは前日か前々日、書かれたのは出したその日かもしれないしもっと前かもしれない。つまり、今から1日か2日前、相手は私に宛てたこの文章を書くのに少し時間を作ってくれたのだなぁと思った。

お互いに手紙が入れ違ってしまうこともあった。LINEでもたまにあることだけど、相手を思って連絡するタイミングが重なるということは不思議なことで、ちょっと嬉しい。LINEだと「今かぶったね」と重なったこと自体を共有することがその場でできるけど、手紙はそれができない。というか、「私も昨日投函したからたぶんかぶっちゃったよね」とLINEで送りたい気持ちをぐっとこらえる。「ああ、今頃、相手のところにも手紙が届いているだろうなぁ」と想像するだけだ。手紙の場合、手紙を書こうと思う、便箋を探す、書く、宛先を書いて切手を貼る、投函する、とやることがたくさんあるので、少なくともこの1,2日間は相手と似たことをしてたんだなぁと想像することも面白い。

手紙とは関係ないけど、プレゼントをもらうことが嬉しい理由のひとつは、相手が私を思ってプレゼントを準備してくれたのだ、と想像することにあると思う。逆に、選ぶことの楽しみは受け取る相手を想像すること。

少しずつ元気になってきて、仕事にも復帰して、LINEでのやりとりがまた増えてきた。タイムラグの少ないやりとりは便利で、面白いことをすぐに共有できるので、これはこれで欠かせないけれども、手紙を書きながら相手のことを思ったり自分のことを振り返ったりして、忘れた頃にまた相手から返事が来るという、時間差というか空白のあるやりとりは嬉しい。少なくとも、その時間分は私は楽しく過ごしていけると思う。