ある日、森の中

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『82年生まれ、キム・ジヨン』を読んだ:自分の体験や違和感を思い出してみる

NHKで紹介していたのを見て初めて知った。1980年代といえば同世代、ということで興味を持ってすぐ購入した。最初は「キム・ジヨン氏」などちょっと堅苦しい、読みにくい感じがあった、読み始めたら一気に読んでしまった。最後まで読んで、ゾワッとした。帯にもあるように、読みながら自分の体験が思い出された。というか、自分の体験や違和感を思い出すための本なのだと思うので、振り返ってみる。

 

学校のこと

 四年生からは、生徒たちの直接投票で学級委員を選んだ。一学期と二学期の年二回、三年間で六回投票したが、キム・ジヨン氏のクラスでは六回とも男子が学級委員になった。多くの先生は成績の良い女子五、六人を選んで手伝いをさせ、採点や宿題の点検もさせており、女子の方が絶対賢いと口癖のように言っていた。(p43)

私の小学生時代は、男子と女子の一人ずつが学級委員になる仕組みだったので、男子だけが選ばれるということはなかった。私も立候補して学級委員になったことがあった。でも、小学校5,6年生の時、学年で数人の児童で構成される児童会のメンバーに選ばれた中で、児童会長が男の子、副会長が私だった。完全に先生が勝手に選んでいた制度で、目立ちたがりだった私は、なぜ自分が会長ではないのかと不満をもったことを覚えている。少なくとも私が在籍していた期間は、男の子が会長だった。

不満を抱えたまま中学校に進学した私は、生徒による直接選挙で選ばれる生徒会長に立候補し、当選したのだった。同じく立候補していたのは女子が1人、男子が1人。つまり女子2人と男子1人が立候補という状態だった。珍しいのかもしれない。私が生徒会長になった当時、女子会長は十何年(何十年?)ぶりだとか、初めてかもとか言われていたのだった。特別な感じが嬉しい反面、やっぱりおかしいだろと思う。

 

生徒会や児童会の男女比ってどうなっているんだろうと思ってググってみたら、滋賀県大津市が興味深い報告をしてくれていた。

2018年度の小学校児童会の役員比率は、男子が45.0%(197人)、女子が55.0%(241人)で、児童会長では男女共に50.0%(共に13人)だった。

中学校の生徒会では、役員比率は男子が36.9%(144人)、女子が63.1%(246人)で、女子の方が多かったが、会長比率は男子が88.9%(16人)、女子が11.1%(2人)と逆転していた。

中学の生徒会長は男子が9割 滋賀・大津市が男女比調査 | 教育新聞 電子版 

児童会・生徒会の役員比率と会長比率を見ると、小学校ではほぼ男女同じなのに、中学校では役員比率は女子が多いのに会長比率は男子9割、女子1割という。小学校では先生が上手にバランスとるようにしてるのかもしれない。中学校では自主的にさせると9:1になるということなのだろうか。でもそれは、単に女子が前にでたがらないからという個人の問題に収めていいものでもない。

 

小学校・中学校の管理職の男女比は、平成23年度の時点で小学校の校長で19.9%、中学校の校長は6.6%と報告されている。低い。

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http://www.mext.go.jp/component/b_menu/houdou/__icsFiles/afieldfile/2011/11/08/1312852_002.pdf

 

PTAだって、役員メンバーはお母さんばかりだけれど会長になると突然お父さん出てくるよね。

人前に立ったり、チームのリーダーをしたりするのは、女の子じゃないのかなっていう雰囲気を、集団に敏感な中学生が感じとっても仕方ない。

 

親のこと

卒業式を二日後に控えた日のことだ。(略)キム・ジヨン氏は、自分は式に出ないと言った。(略)こんなに怒っても娘が無反応なのを見ると、父は一言つけ加えた。

「おまえはこのままおとなしくうちにいて、嫁にでも行け」

ところが、さっきあんなにひどいことを言われても何ともなかったのに、キム・ジヨン氏はこの一言で急に耐えられなくなってしまった。ごはんがまるで喉を通らない。スプーンを縦に握りしめてワナワナしながら呼吸を整えていると突然、がん、と固い石が割れるような音がした。母だった。母は顔を真っ赤にして、スプーンを食卓にたたきつけた。

「いったい今が何時代だと思って、そんな腐りきったこと言ってんの? ジヨンはおとなしく、するな! 元気出せ! 騒げ! 出歩け! わかった?」 (p98)

キム・ジヨンの母オ・ミスクは、兄弟を支えるために進学を諦めて働いて、男の子を妊娠しないことのプレッシャーに苦しみ、家事育児をしながら商売や投資を成功させるなど才覚のある様子が描かれている。オ・ミスク自身が経験してきた女性への扱いや押しつけを娘たちについ言ってしまったり、それを反省したり後悔したりしている。この揺れ動く母親がキム・ジヨンの感覚を育てたのだと思う。 

つい最近、知ったのだが、私が小学生か中学生の頃、男子だけがコンピュータの授業をするという時間があったそうで、私の母はなぜ女子はやらないのか、と学校に問い合わせたことがあったらしい。私は技術・家庭科などを男女ともに受けるようになってからの世代だけれども、きっと学校ごとや教員ごとの方針で男女別にする機会があったのだろう(私自身は何の授業かさっぱり覚えていない)。

それはちょっとおかしいのでは、と思い、それを表明してくれる親がいたことは、女だから云々と言われたくない、という私の感覚を育てたのだろう。父も母も大学に行っていないが、「残せる財産がないから教育を残す」と言われ、おかげで望むように進学ができた(奨学金も背負っているが)。

自分の親ではないけれど、私が大学生の時、アルバイト先の店長(男性)と、店長の娘二人の進学について話す機会があったが、「女の子だから外には出さん」と言っていた。私はその当時、県外に進学して一人暮らしをしながらそこでアルバイトをしていて、特にそのことを何か店長から言われたことも、女だから云々などと言われたこともなく、むしろさっぱりした良い店長だったけれども、自分の子どものこととなると違うのかなぁと思った。娘さんたちは自宅から通える範囲の大学に進学した。

 

結婚のこと

婚姻届だ。(略)

そして五番目の項目になった。「子の姓と本貫を母親の姓・本貫にすると合意しましたか?」(p123)

韓国と日本の仕組みは違うけれど姓について同じことで迷っているんだ、と初めて知った。結婚して姓に迷う。日本は結婚した者同士の姓をどうするか、韓国は生まれた子どもの姓をどうするか。どちらも男性の姓に合わせることが主流だ。

私がいざ婚姻届を出そうとした時、それまで「女だからこう、なんておかしい」という考えで生きてきたつもりだったけれど、多くの人と同じように男性に合わせておいた方がいいのかな、という考えがよぎった自分に驚いた。戸籍の姓が変わったところで仕事も友達づきあいでも何も変えないつもりだったから、正直言ってどちらでもよかった。夫もどちらでも良さそうで、私の姓にしてもいい、と言っていた。そうしようかなと母に言ったら、「それはやめとけ」と言われた。別に理由はなさそうだった。結局、自分で夫の姓にすると決めた。何も決め手がなければ、多数に合わせてしまうという自分の弱さと、「多数である」ということの威力を知った。

「まだ父親の姓を継ぐ人がほとんどではあるんだよね。母親の姓を注いだら、何か事情があると思われるでしょうね。説明したり訂正したり、確認したりすることが増えるだろうな」

 キム・ジヨン氏の言葉に、チョン・デヒョン氏は大きくうなずいた。自分の手で「いいえ」の欄に印をつけるキム・ジヨン氏の心情はどことなく虚しかった。(p125)

「それな!」としか言いようがない。

婚姻制度とか夫婦同姓とか、本当に何とかしてほしい。実務的な損害はもちろん、気持ちが削ぎ落とされるのだ。誰かがしんどい思いをしているのに、何のための制度か。

 

出産のこと、仕事のこと

「でもさ、ジヨン、失うもののことばかり考えないで、得るものについて考えてご覧よ。親になることがどんなに意味のある、感動的なことかをさ。それに、本当に預け先がなくて、最悪、君が会社を辞めることになったとしても心配しないで。僕が責任を持つから。君にお金を稼いでこいなんて言わないから」

「それで、あなたが失うものは何なの?」

「え?」

「失うもののことばかり考えるなって言うけど、私は今の若さも、健康も、職場や同僚や友だちっていう社会的ネットワークも、今までの計画も、未来も、全部失うかもしれないんだよ。だから失うもののことばっかり考えちゃうんだよ。だけど、あなたは何を失うの?」(p129)

前職場で、同僚の女性と、同僚の男性の妻がほぼ同時期に妊娠がわかったことがあった。同僚の女性はなかなか妊娠できずに悩んでいたから、本当に良かったはずだった。でもその当時、同僚は二人とも同時期に海外出張に行く予定があり、同じ一年ごとの更新の契約だったので、女性は出張をとりやめ、その年度の産休に入るタイミングで辞めることになった。妊娠の連絡をもらって、おめでとう!と伝えると、嬉しいけど2日泣いた、同じ子どもができた状態なのに辞めなくて済む同僚男性を羨ましく思ってしまう…と返事をもらった。任期の決まった勤務形態や更新のある職場では、どうしたって女性は妊娠すれば辞めることになる。専門職でずっとやってきた彼女の、募る悔しさを目の当たりにした。これは単にやりたいことを続けられなくて悔しい、というのではなくて、婚姻届と同じく、“自分で望んで”やっていることなのだという複雑さも含む。彼女は生まれた子をめちゃくちゃ可愛がっている。実家の協力を得て、仕事も何とか再開しているようだけれど、雇用期間の限定された職場だと聞く。本当は“自分たち2人が望んで” いることなのに、女性が泣き、男性は変わらない、という枠組みがある。

私は、産休育休がとれる環境に移ってからの妊娠ではあったけれど、あの彼女の様子が影響したところもあったかもしれない。つまり、一年更新の職場ではなく、産休育休がとれる環境に移ってから妊娠しよう、という考えがうっすら芽生えたように思う。つまり、転職できて、さらに1年以上勤めてからの妊娠・出産を目指すということで、年齢は高くなり、妊娠できる確率は下がる、という現象を招く。まさか死産になるとは思っていなかったけれど、何とかもう一人…と思った時にはますます年齢は上がる。夫も仕事は正規雇用ではないので(正規雇用が完全に安全とも言えないが)、私が辞めるわけにはいかなかった。

さらに先日書いたように、昇給がない事態になっている(まだいろいろ問い合わせ中)。女性の就業率のM字現象は今更いうまでもないけれど、正規雇用であっても、男性と同じスタートを切っても産休・育休で昇給しないのであれば、そりゃ、男女の年収は差がつくばかりだなとため息が出る。育休を男性も取ればいい、と言うのは簡単だけれど、2017年度の男性の育休取得率は5.14%らしい。目標が13%・・・千里の道も一歩からとは言え、低い。理由の一つが「育児休業を取得しづらい雰囲気」とのこと(男性の育休取得5.14%、過去最高 17年度 :日本経済新聞)。婚姻届と同じだ。

正規雇用という制度や給料に依存しすぎるのもよくないなぁとか、もっとしたたかに、しなやかに働くということを捉えていけたらいいのになとか、思うことはあるけれど、二人いるのにどちらかだけがその工夫を強いられることはやっぱり変だなと思うので、一つ一つの現状を修正して行くしかない。

 

帯の言葉が好きだ

「女性たちの絶望が詰まったこの本は、未来に向かうための希望の書」ー松田青子

この本は女性にとって絶望的な状況が詰め込まれていて、これを読んでその状況に思いを馳せ、意識と制度が変わっていくことで初めて希望になっていく。