ある日、森の中

思ったこと、考えたこと、調べたこと、経験したこと

死産後の生活12:1年半が経った

1年半、と書いたけれど、本当はもう1年8ヶ月が経っている。

1年半の時点で、ああそろそろ何かを書きたいなぁと振り返っているうちに、職場でいろいろと起こり、それにワタワタしている間に新型コロナウイルスが広まり始め、その対応にてんやわんやで、今に至る。新型コロナウイルス、イタリアやアメリカ、緊急事態宣言、テレワーク、10万円給付 etc.を日々ニュースで見ながらどうなるんだろう…と思ったり、コロナっぽい症状だったよという人たちのレポートのような記事を読んで自分の体調の変化に怯えたりしている。影響されやすいので、こういう時に困る。

ちなみに、人工授精をした話を前回書いたけれど、全然妊娠していない。

 

もし我が子が予定通りに生まれてきていたら、コロナ流行はちょうど1歳半健診の時期と重なった。健診を一時的にやめていた自治体もあったので、もし1歳半の子どもがいたら、どうすればいいのか心配だっただろうな。姪っ子の幼稚園も休園になっていて、妹が大変そうだ。

そういう心配や大変を一緒に経験できると良かったのにねー、と絶対に感染症にかかる心配のない我が子に話しかけ、自粛生活を送っている。

 

 

最近の出来事。

少し前に、骨壺を入れている袋を変えてみた。それまで、火葬の時に業者に入れてもらった、シンプルでイカニモな白いカバーに入っていたのだけれど、もっと可愛くしてあげたいと思い立ち、ずっとカバーを探していた。でも、「骨壺 カバー 3寸」とかで検索すると、ペット用と書かれたかわいいカバーしか見つけられない。ペット用て書かないでくれたらいいのに…。納骨して手元に少し骨を残すのであれば、洒落た骨壺やリングやネックレスがあったが、アクセサリーをつけないし、そもそも納骨がまだできそうにない。

見つけたのは、Francfrancのポーチ。

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写真は楽天ファッションのもの

底もあり、ちょうどです。

不謹慎か?としばらく悩んだけれど、子に素敵であってほしいと願うことは悪くもなかろうと思い、いいことにした。生きて育って、自我が出てきたり思春期になったりすると親の願いは重荷になることもあるのだろうけど。

 

 

あと、最近の出来事と言えば、死産に関するふたつのクラウドファンディングに協力した(どちらも今は終了)。

一つは、死産した赤ちゃんのかわいい棺「おくりばこ」

 

もう一つは、家族向け「支援リボンピンバッジ」

 

両方とも、企画した方達の思いやりと強さが感じられて、企画趣旨とかは涙なしには読めなかった。どちらも目標達成して良かった。発展していってほしい。

自分が病院で受けた対応を振り返っても、全体的に悪くはなかったが、ちょいちょい気になるところはあった。どんな分野でも、大多数と異なる対応が必要なイレギュラーな症例というのは件数自体が少ないので、援助者個人の経験やセンスに左右されてしまいやすい(それ以外の通常の援助や治療も同じだけど)。そこを補う最初の手段はまず知識だと思うので、経験者からの活動や情報提供は重要だと思う。そして、経験者が頑張らなくても適切な理解と支援が共有されるようにする責任が、専門職にはあると思う。

私自身も、いずれはこんな活動や支援に関われたらいいなとは少しずつ思うようになってきた。でも、上記のクラファンをfacebookで共有しようとしただけで、予想以上の時間と勇気が必要だったので(この感覚が何故なのか、明らかにしたいところだ)、まあ今のところは、まだ思っているだけでよしとしよう。

 

1年経った頃とも同じく、日常的に泣いたり落ち込んだりすることはほとんどない。でも、テレビ見ていて突然、母子手帳が出てきた時にわーっと涙が出てきてびっくりしたことがあった。赤ちゃんの映像(CMとか)もややしんどい。ちょっと前まではむしろ道ゆく抱っこされた実物赤ちゃんでも平気になってきていたので、波があるのかなぁと思っている。