ある日、森の中

思ったこと、考えたこと、調べたこと、経験したこと

プリキュア第42話「笑顔の迷い、えれなの迷い」:笑顔という共生から個の自立を想像した

プリキュアってこんなに考えさせられるアニメだったのか…と、これまで見てこなかったことを後悔している。

今週の放送で、私は単純にえれなが覚醒(内なるトゥインクルイマジネーションを発見)するのだと思っていた。これまで、ユニ、ララ、まどかが覚醒してきたからだ。でも、今週えれなは覚醒しなかった。変身シーンが最近では珍しくオリジナルの長いバージョンで、これちゃんと覚醒して終わるのかな…と思っていたら、次週に続いた。

 

「スター☆トゥインクルプリキュア」12月1日(日)放送予告
第42話 笑顔の迷い、えれなの迷い。

家族のことを思うあまり、自分の進路について希望を言い出せずにいるえれな。それが実は母・かえでを悩ませていると知って…

(スター☆トゥインクルプリキュア公式YouTubeより)

www.youtube.com

 

 『スタプリ』第42話「笑顔の迷い、えれなの迷い。」より先行カット到着!

『スタプリ』第42話「笑顔の迷い、えれなの迷い。」より先行カット到着! | アニメイトタイムズ

 

えれなの口癖は「笑顔」。敵であるテンジョウはそれが気に食わず、フワを奪うという本来の目的も忘れて、キュアソレイユ(えれな)に、笑顔は偽物だとか、意味がないとか、母親を苦しめているとか言って責め立てる。

 

えれなは、通訳の仕事で忙しい母親に代わって、弟妹たちの面倒を見て、ご飯を作ったり父親の店の手伝いをしたりして、家族の笑顔が自分の幸せだと思って日々を過ごしているところがある。お姉さん役割・お母さん役割をこなして、しっかり者の姐さんタイプで、学校でも笑顔が素敵な人気者。だけど、それは逆に考えると、忙しい母親や手のかかる弟妹たちがいるおかげで成り立っている「えれな」だ。えれな自身がそういう在り方を選択してきたというよりは、おそらく、家庭を守っていくためにそうせざるを得なかったのだろうと思う。

笑顔は素敵だけれど、物事には必ず表裏がある。えれなが明るく振る舞うのを横目に、母であるかえでは自分がえれなに負担をかけてしまっているのではと思い悩んでいる(ところをテンジョウにつけこまれた)。えれなはノットレイダーに取り込まれたかえでを見て、自分がかえでに負担をかけていると知ってショックを受ける(けどちゃんと戦って勝った)。

現在の「えれなが“みんなの笑顔”を大事にして生きている」という状態は、えれなと他の人は一心同体もしくは共生している状態だ。えれなが頑張ることで家族や周囲が笑顔になり、家族や周囲が笑顔になるとえれなも嬉しくなる。

だけど、今のえれなは「笑顔でいること」が強調されすぎていると感じる。えれなの「皆を笑顔にできなかったらどうしよう」という不安や、家族や周囲の役に立てない不甲斐ない自分、という負の部分が隠されていると思う。その意味では、テンジョウが「うわべだけの笑顔」とか言ってザクザク刺してくるのも案外間違ってないのかなとも思う。

そして、家族や周囲を基準に生きているえれなは、進路選択で突然「自分のやりたいことをやっていい」と自分を基準にする話をされても見つけることができない。なぜなら、自分を基準にすれば、家族を笑顔にできないかもしれないからだ(進路に関わる経済的負担とか家事ができなくなるとか)。

でも、進路選択をはじめとした自立のプロセスというのは、自分が何が好きで、何を面白いと思っていて、何をやりたいと感じているのかという感覚を見つけていくことからスタートする。裏返せば、何かを好き/面白い/やりたいと感じるということは、その他のものをあまり好きじゃない、嫌い、気が進まない、私としてはこれはちょっと違うかな…etc.と表明することでもある。つまり、自分の進路を決めるということは、相対的に家族を大事にしないということでもある。家族の笑顔を基準にしてきたえれなには結構しんどい状況だと思う。

共生状態から個としての自立へ。

最終的には、自分も家族も両方を笑顔にする、というやり方があり得るけれど、そのためには、家族の笑顔一辺倒でやってきた今までのやり方を変える必要があるから、自分に馴染みのない在り方を身につけなければならないし、周囲を傷つけるかもしれない。変化はこわい。そんな変化が本人にも周囲にもどんどん起こっていくのが、思春期・青年期なのだ。

 

 

なんと思春期の成長を美しく描いているのだろう。

 

たぶん、えれなは、自分の進みたい進路を両親に伝えるだろうし、「だけど、弟妹たちが…」とか言うと、母が「大丈夫! お母さん達の役割なんだから。えれなは自分のやりたいことをやりなさい」とか言って、個としての自立の一歩を踏み出し始めるに違いない。えれなはえれな自身が進路を選び、父と母は子どもたちと家庭を守るという本来の役割に戻っていく。

 

 

あと、えれなが母親役割をこなす一方で、母親役割を十分にできていないと自分を責めるかえでにも注目したい。このえれなの家族は、「三歳児神話」のような、母が子どもの世話をしなくてはならないという価値観に言及していると思う。「多様性」と「イマジネーション」がキーワードだと私は思っているので、仕事に忙しい母・かえでが、子どもや家族を犠牲にしていると自責感にかられることなくいられる在り方がどのように表現されるのか、楽しみだ。