減ったこと、増えたもの
妊娠前後でも生活はだいぶ変わったなーと思っていたけれど、死産前後でも生活は変わった気がする。大きく変わったことはなんだろうと考えると、減ったことを2つ、増えたものを1つ、挙げることができるのではないかと思った。どうでもいいが、仕事量は変わらない。
減ったこと
写真を撮ること
別にカメラの趣味があるわけでもなく、インスタに写真を載せまくるわけでもない。
ただ、面白いものや記念のものをスマホで撮って、しばらくして見返すとこれなんだっけと思い出せないこともある、というくらいが私の写真だった。
去年の夏、その時もう2年と少し使っていたスマホを買い替えた。写真やアプリで容量がそこそこいっぱいになっていたので、新しくして、子どもが産まれたら他の人たちのように写真や動画をいっぱい撮るぞと思っていたのだった。
結局、新しくしたスマホには、亡くなって産まれた赤ちゃんとの写真が11枚、保存された。その後、母と妹と旅行に行った写真と夫と出かけた時の写真が数枚あるけれど、以前のように「何これおもしろーい」とか「美味しそうー」というノリでは写真を撮らなくなった。必要があって撮った写真は用が済めば削除する。だって、保存する写真が増えたらスクロールしないと赤ちゃんの写真が見られなくなってしまう。
突然心拍が止まり、対面して数日で火葬され、目の前からいなくなってしまった我が子の儚さを保存するには写真ではとても足りない。触れた感じ、脆さ、小さい手足、大事なものが全然保存しきれていない。そして、そんな我が子以上に撮影したいものって普段の生活にはないんだなあ。前のスマホには写真がいっぱいあったけれど、一体何を撮っていたのか。
きっとまた撮りまくることがあるとすれば、次に私たちの子どもがやってきたときだろう。
歌を歌うこと
歌はキケンだ。
「愛しいあなた」「どこにいったの」「世界に一つだけの」といった歌詞、以前ならなんでもなく聞いていた曲や恋愛の曲と思っていたものが、突然、脳内でスイッチを入れてくる。悲しみを呼び起こし、淋しさでいっぱいになり、涙が止まらなくなる時もある。
いつだったか、「瑠璃色の地球」という曲を初めて聞く機会があり、なんだかめちゃくちゃ泣けた。でも今、改めて歌詞を見ても、なんで泣いたのか全然わからない。松田聖子の曲らしい。
最近は、ラガーマンとサラリーマンが闘うドラマ「ノーサイド・ゲーム」にハマって、主題歌「馬と鹿」で米津玄師を今更ながら初めてちゃんと聞いて、リズムやメロディーがいいなと思って、他の曲も聞いてみたいけれど、歌詞がなんだか泣けそうなので結局聞いていない。
車通勤の運転中に大きな声で歌ったり、カラオケに行ったりするのが好きだったけれど、これまで何もなく聴いて歌っていた歌もどこにトラップが潜んでいるかわからないし、運転中に涙が止まらなくなるのは結構大変なので控えている。その代わりに今は、洋楽を聞くか、英語のレッスンのCDを聞きながらぶつぶつ喋る練習をしている。悲しさや淋しさから逃れるように英語の練習をしているとも言える。
増えたもの
おりん
我が子の骨壷が鎮座するこぢんまりとした棚が増えたのは当然として、先日、その棚におりんが仲間入りした。おりん、つまり、仏具。チリーンと鳴らすやつ。生まれて初めて「お仏壇のはせがわ」で買い物をした。 その昔、祖父母の家でしか見たことも鳴らしたこともなかったものを導入することになるとは…と、またちょっと悲しくもなったけれど、どうせなら素敵なものがいいなと思って選んだら、実は2018年のGOOD DESIGN AWARDだった。グッドデザイン賞って何にでもあるんだな。
もともとは夫が導入を希望し、私はそんなに興味がなかった、というか、
「おりんだなんて、なんというか、供養感が強いよなぁ・・・」
と、変えることのできない現実を拒否するように過ごしてきたけれど、いざ飾ってみるとなかなか良い。音もかわいらしく、我が子のまわりを華やかにしてくれている。
1年が経ち、ゆるやかに受け止め方は変わってきている。これが一番の変化かもしれない。