ある日、森の中

思ったこと、考えたこと、調べたこと、経験したこと

不妊治療に行き始めた

死産から1年ちょっと、妊活を再開してから半年が経った。

「次の年は妊娠しやすい」というのは嘘か真か。死産した1年以内に妊娠したという方をTwitterで見たり、リアルにも1人きいたりしたので、なんとかなるかなと思っていたが、今のところどうにもなっておらず、毎月トイレで「やぁ、またお会いしましたね…」と挨拶を交わすばかり。

 

不妊」とは、妊娠を望む健康な男女が避妊をしないで性交をしているにもかかわらず、一定期間妊娠しないものをいいます。日本産科婦人科学会では、この「一定期間」について「1年というのが一般的である」と定義しています。

(日本産婦人科学会ホームページ)

ただし、35歳を過ぎたら半年妊娠しなければ治療に行った方が良い、という話もあり、以前の妊娠は30代半ばだったけれども、今や立派な30代後半になったことを自覚して、行くべきではないかと思い立った。 

・・・のが8月後半。近所を調べてみて、隣の大きな市にある不妊治療専門クリニックが遅くまでやってて良さそうと思い、一度電話したところ、

「生理の直後か、排卵の少し前に来てもらえたら、せっかく来ていただくので検査もできた方がいいと思いますよ」

と言われ、生理の直後はわかるけど、排卵の少し前って、それを教えてくれるために行くんじゃないのかよーと思って、初めてのことに不安が強い私は混乱したのだった。

 

そして、今回妊娠してるかもしれないしーと悪足掻きをして、今月は様子見ようと思い、結局、ただ時間が流れただけに終わった。「様子見」と言う時って、大概、ただやりたくない時だよなと実感。まあ、心構えの時間が必要なこともある。

 

受診

それでもぎりぎりまで何かに抵抗し、診察受付のほぼ最後の時間に滑り込んだ。予想はしていたけれど、待合室にたくさんの人。ほとんどが女性、ときどき配偶者らしき男性、稀に子ども。ああ、ここにいる人たち、みんな、子どもができないことに困ってここにいるんかな…と思うと、なんだか元気が出た。心の仲間は大事だ。不妊治療専門クリニックなので、妊娠したら基本的には一般の産婦人科に移っていくため、少なくともお腹の大きな妊婦さんを見かけることがないのも良かった。出産も対応している産婦人科で、不妊治療もしてますというところがあるけれど、待合室で妊婦見ながら不妊治療に通うのは、私だったらしんどい。

問診票に、結婚期間や不妊の状況を書く欄があり、

  • 避妊していないが、妊娠しなかった
  • 妊娠はしたが、流産した

という選択肢があったので、二つ目にチェックを入れ、余白に「死産」と書き込んだ。週数も書いたのでわかるだろうけれど、選択肢の文章にも入っていないあたり、やっぱり数も多くはないのだろうか。ないことにされてしまうようで悲しい。

 

看護師の説明

ネットで一通り読んで、なんとなくわかっているつもりだったけれど、いざ、自分ごととして、排卵・受精・妊娠の仕組み、基礎体温、血液検査、フーナーテスト、卵管造影検査、人工授精、体外受精、ここまでは保険診療、ここからは自費…と一気に説明されると、「ちょっと何言ってるかわかんない」状態だった。看護師が淀みなく喋るのを聞きながら、立て板に水ってこういうことかなぁとか思っている間に説明は終わった。向こうもネットで見てるでしょと思って、こんな感じになるのだろうか。最後に冊子を渡されたが、最初から、患者の手元に残るこの冊子に沿って説明してくれたら良くないですかね。「卵管造影検査は痛くありません」と強調されたことだけが印象に残っている(そのあとの診察でも言われた)。よっぽどこれまで「痛いんですか?」「痛いんですよね?」「ネットで痛いって見たんですが」と聞かされてきたのだろうと想像した。

 

看護師さんの説明から1時間半ほどさらに待つ。小説でも持ってくれば、この待ち時間は大したことはない。

 

診察

開口一番、「長い時間お待たせしてごめんなさいね〜」と白髪の混じった医師は私に謝った。話している間、視線が私と全然合わず、早口で良く動く初老の院長だ。こっちが待つの覚悟で遅くに来てるんですこちらこそ遅い時間にすみません…と心の中で謝った(現実には、「あ…いえ…」としか言えない小心者)。医者が謝ると途端に印象が良くなるのなんでだろう。

カルテに貼られた問診票を見た医者は、「あーーー、残念だったねぇ。私も家内が2回流産しててねぇ・・・残念だったねぇ」と言い、今後の見通しを早口で説明し、内診して子宮はきれいだねと見せてくれたのち、最後に「うん、前回は残念だったけど、これから頑張ろうね」と言って締め括った。

「頑張る」という言葉は難しいなと常々思っていて、「頑張る」と気合い入れても具体的にどうすればいいかわからないよなとか、「頑張ってます」とだけ言われてそれ以上突っ込めないと面倒だなとか、「頑張ってね」と伝えた相手がもうこんなに頑張ってるのに!と思ったりしてもいけないなとか、余計なことを考えてしまうのだけど、今回「頑張ろうね」と言われてみて、私自身がなんとかやっていこうと思い立ったときに、サポートされるであろう相手から言われる「頑張ろうね」は、なかなかグッとくるものだなと知った。

頑張ろうと思う。

 

来院から2時間で会計まで終了した。

 

ちなみに2回目の診察

少し早めに行ったおかげか、初回より待ち時間は少なかった。

でも、呼ばれてすぐに「内診台でお待ちくださーい」と看護師に言われ、ズボンとパンツを脱いで内診台に座って待つこと5分。

顔を合わせて診察する前に股を診る、ということに驚愕したし面白かった。

引越し先で新しい歯医者に初めて行った時、口の周りに全部布がかけられて治療され、「私はここでは人じゃない、歯だ…」と自分に言い聞かせたことを思い出した。

今回は、人としてよりも先に、お股として診てもらうのだ。なかなかすごい世界に来たのかもしれない。

もちろんそのあとにちゃんと人として話がされ、タイミングを指示されて終了した。

 

今のところ

今回のタイミングで終わっちゃうといいなと期待したが、そううまくはいかず、受診1周期目はやっぱりトイレで経血と再会した。

まあ、頑張ろうと思う。

 

 

 

減ったこと、増えたもの

妊娠前後でも生活はだいぶ変わったなーと思っていたけれど、死産前後でも生活は変わった気がする。大きく変わったことはなんだろうと考えると、減ったことを2つ、増えたものを1つ、挙げることができるのではないかと思った。どうでもいいが、仕事量は変わらない。

 

減ったこと 

写真を撮ること

別にカメラの趣味があるわけでもなく、インスタに写真を載せまくるわけでもない。

ただ、面白いものや記念のものをスマホで撮って、しばらくして見返すとこれなんだっけと思い出せないこともある、というくらいが私の写真だった。

去年の夏、その時もう2年と少し使っていたスマホを買い替えた。写真やアプリで容量がそこそこいっぱいになっていたので、新しくして、子どもが産まれたら他の人たちのように写真や動画をいっぱい撮るぞと思っていたのだった。

結局、新しくしたスマホには、亡くなって産まれた赤ちゃんとの写真が11枚、保存された。その後、母と妹と旅行に行った写真と夫と出かけた時の写真が数枚あるけれど、以前のように「何これおもしろーい」とか「美味しそうー」というノリでは写真を撮らなくなった。必要があって撮った写真は用が済めば削除する。だって、保存する写真が増えたらスクロールしないと赤ちゃんの写真が見られなくなってしまう。

突然心拍が止まり、対面して数日で火葬され、目の前からいなくなってしまった我が子の儚さを保存するには写真ではとても足りない。触れた感じ、脆さ、小さい手足、大事なものが全然保存しきれていない。そして、そんな我が子以上に撮影したいものって普段の生活にはないんだなあ。前のスマホには写真がいっぱいあったけれど、一体何を撮っていたのか。

きっとまた撮りまくることがあるとすれば、次に私たちの子どもがやってきたときだろう。

 

歌を歌うこと

歌はキケンだ。

「愛しいあなた」「どこにいったの」「世界に一つだけの」といった歌詞、以前ならなんでもなく聞いていた曲や恋愛の曲と思っていたものが、突然、脳内でスイッチを入れてくる。悲しみを呼び起こし、淋しさでいっぱいになり、涙が止まらなくなる時もある。

いつだったか、「瑠璃色の地球」という曲を初めて聞く機会があり、なんだかめちゃくちゃ泣けた。でも今、改めて歌詞を見ても、なんで泣いたのか全然わからない。松田聖子の曲らしい。

最近は、ラガーマンとサラリーマンが闘うドラマ「ノーサイド・ゲーム」にハマって、主題歌「馬と鹿」で米津玄師を今更ながら初めてちゃんと聞いて、リズムやメロディーがいいなと思って、他の曲も聞いてみたいけれど、歌詞がなんだか泣けそうなので結局聞いていない。

車通勤の運転中に大きな声で歌ったり、カラオケに行ったりするのが好きだったけれど、これまで何もなく聴いて歌っていた歌もどこにトラップが潜んでいるかわからないし、運転中に涙が止まらなくなるのは結構大変なので控えている。その代わりに今は、洋楽を聞くか、英語のレッスンのCDを聞きながらぶつぶつ喋る練習をしている。悲しさや淋しさから逃れるように英語の練習をしているとも言える。

 

 

増えたもの

おりん

我が子の骨壷が鎮座するこぢんまりとした棚が増えたのは当然として、先日、その棚におりんが仲間入りした。おりん、つまり、仏具。チリーンと鳴らすやつ。生まれて初めて「お仏壇のはせがわ」で買い物をした。 その昔、祖父母の家でしか見たことも鳴らしたこともなかったものを導入することになるとは…と、またちょっと悲しくもなったけれど、どうせなら素敵なものがいいなと思って選んだら、実は2018年のGOOD DESIGN AWARDだった。グッドデザイン賞って何にでもあるんだな。

f:id:harufuku:20191018181352j:plain

 

もともとは夫が導入を希望し、私はそんなに興味がなかった、というか、

「おりんだなんて、なんというか、供養感が強いよなぁ・・・」

と、変えることのできない現実を拒否するように過ごしてきたけれど、いざ飾ってみるとなかなか良い。音もかわいらしく、我が子のまわりを華やかにしてくれている。

1年が経ち、ゆるやかに受け止め方は変わってきている。これが一番の変化かもしれない。

 

 

 

 

「たのしい幼稚園」に見た性差と情報格差

幼稚園に通う姪と仲良くなりたいばかりにプリキュアを毎週見ている。そして中学生女子と宇宙人達の葛藤と友情に涙して疲れてんのかな私…と思ったりもする。

そんな中、コンビニでプリキュアが表紙になっている「たのしい幼稚園」11月号を見つけて、つい買ってしまった。

f:id:harufuku:20190929001137j:plain

プリキュアやリカちゃんをホログラムできらきらに! 「きらきらホログラムぬりえあそびセット」が付録の『たのしい幼稚園11月号』は9月30日発売!|株式会社講談社のプレスリリース

 

(よく見たら発売日前)

 

人生初の「たのしい幼稚園」。

私は保育園に通っていたので、現役幼児の時にもきっと買わなかったのではないかと思う。読んでみて、性差と情報格差があるんだなぁ…と気づいたことを書く。

 

性差

雑誌タイトルが「たのしい幼稚園」なので、園児が好きなキャラクターがいっぱい載っているのかなと思って見てみたが、予想に反して、女児をターゲットにしたであろうページでいっぱいだった。プリキュアマイメロ、リカちゃん、シルバニア男児向けが想定されるのは仮面ライダーリュウソウジャーが1ページずつのみ。ひらがなの練習やシール貼りなど、性差が関係ないページもあるものの、全体的にはこの雑誌は女児向けなんだなぁ、ということを初めて知った。表紙もプリキュアなので、そりゃそうだという感じだけど、こんなにあからさまだとは思わなかったので驚いた。

それで、男児をターゲットにした雑誌は別であるのかなと思って、講談社のページを調べてみた。

f:id:harufuku:20190929001029j:plain

講談社こども倶楽部

 

表紙で判断する限り、以下の感じに分類できそう。

 

【女児ターゲットと考えられるもの】

おともだち
たのしい幼稚園
おともだち♥ピンク
たの幼 ひめぐみ
Aneひめ(小1〜3年向け)

男児ターゲットと考えられるもの】

テレビマガジン

【より年少の子ども向け(性差なし)】

げんき
NHKおかあさんといっしょ
いないいないばあっ!

 

なんだ、「Aneひめ」て。AneCanか。(でもAneCan小学館

つまり、女児ターゲット5冊に対して、男児ターゲット1冊ということだ。

(もし隔月等で男児ターゲット、女児ターゲットが入れ替わっている雑誌があったとしたらこのカウントは変わるけれど、とりあえず今、表紙で判断した状況で)

 

これまでなんとなく、雑誌1冊に男児向けページと女児向けページが半々で入っているのかな、と思っていた。でも、よく考えれば、きょうだいで兄・妹、もしくは、姉・弟のペアだったとしても、この雑誌の対象年齢がかぶるのってきっと1年くらい(年長と年少とか)だろうから、いっそどちらかの性に限定して雑誌を作った方が売れやすいのかもしれない(被っている1年は半々ページで楽しめたとしても、残り2年は男児か女児のどちらかしか園児ではないので、男児ターゲットもしくは女児ターゲットのページしか見ない、のだとしたら損が大きいと考えて保護者が買わないかもしれない)。だから、まず、どの雑誌を読むか、という時点で、得られる情報が男児向けか、女児向けか、性差がかなりはっきり出るのだと思う。

まあ、内容に関する性差は、テレビ番組やCMを見ても明らかなので、いい。私が驚いたのは、女児/男児をターゲットにしている雑誌の冊数だ。

女児ターゲット雑誌5:男児ターゲット雑誌1、ということは、女児の方が選択肢が多く、「雑誌を読む」ということが男児よりもしやすいということになる。きっと、男児は女児よりも雑誌や本(絵本)を読まない、という判断があるのだろうと思うけれど、雑誌の数に差がある結果として、男児の方が雑誌を手に取る機会が減り、女児の方が増える。すると、女児はよく本や雑誌を読む一方、男児は外で遊んでいる、という差が助長されるのではないだろうか。しかも、雑誌の中には(たの幼しか見てないけど)、ひらがなの練習やシール貼りなどが含まれるので、女児はそういった細かい手作業に触れる機会も増えることになる。

また、タイトルを見ると、女児ターゲット雑誌は、幼稚園で楽しくお友達と過ごす、というメッセージが込められていて、周囲とのコミュニケーションを中心に過ごすことが幼児期から社会的に求められているのだと思った。もちろん、それがいかんということはないのだけど、男児だってお友達と楽しく過ごすし、おしゃべり苦手な女児もいる。その個人差はあるけれど、雑誌(あるいは社会)が発する性差に関するメッセージは幼児期からガンガンに始まっているのだ、ということが、ちょっと衝撃だった。

(出産祝いからして売り場はブルーとピンクの2色なので、産まれる前から性差は存在しているとも言えるけれど)

 

情報格差

雑誌の中に、プリキュアの新しいキャラクターがちょっとだけ描かれていた。プリキュアの仲間っぽい(私は毎週、結構真剣に楽しみに見ているので、先の展開を今知りたくなかったー! と軽くショックだった)。私がたまたま発売日前に手にしてしまっただけで、本来の発売日の頃にはこのキャラクターが出ているのかなとも思ったけれど、そうでもなかった(9/29のプリキュアはえれながサボテン星人を接待する回だった)。

もしこれを園児が見たら、「新しいプリキュアだ!」とわくわくするのかもしれない。そして、「新しいプリキュアが出るんだよ」と園で友達に言うかもしれない。雑誌を読んでいない園児は「どういうこと?」「教えて」と尋ねるかもしれない。

つまり、この雑誌を読んでいるかいないかで持ちうる情報量が変わるということだ。インターネット現代では、どれだけの情報量にアクセスできるか、が重要なのではないかと思う。何かを調べる時に、図書館と人伝ての情報だけが頼りだった時代と、Googleに教えてもらえる時代では、圧倒的に後者の方がわかることが多い(玉石混交ではあるけれど)。情報をいち早く手に入れる、ということだけが重要ではないにせよ、他者との間で優位に立ったり頼られたりする一因ではあると思う。

でも、もちろん、雑誌を買うにはお金が必要で、900円の雑誌を1年買ったら1万円を超す。「たのしい幼稚園」を買える家庭の子には新しい情報が手に入る。

幼児期の経済格差はモノ(雑誌、付録、オモチャetc.)を持っているか持っていないか、ということだけに響いてくるのかなと思っていたけれど、手に入る情報にまで影響を及ぼすのだな、ということを知った。

 

 

スタートゥインクルプリキュアは多様性とイマジネーションがテーマだと思うけれど、それを売り込む雑誌やオモチャは子どもを分類し、ターゲットを絞ることで商売をするから、画一的になり、差が広がり、自分と違う誰かを想像しづらくなっていく。

 

他にも、読者プレゼントが多くて、親が子どもにあげたいでも高いから当てたいと思って個人情報を送ってしまうのかなとか、英語の紹介ページのふりがながちゃんと発音を意識していてさすが英語必修化世代だなとか、気づきが多かった。いい買い物をした。

姪に見せたら喜ぶだろうけれど、これだけの影響があると思うと躊躇う。

 

ちなみに、付録の「キラキラホログラム」は楽しかった。こんな細かい作業を園児ができるのかな? と疑問に思った。私は割と器用な方だと思うけれど、ふわふわシールの台紙を剥がすときに特に細いところはときどき破れてしまった。こういう雑誌の付録が楽しめるのは、手先の器用さがある子どもなんだろうな。平面シールはやりやすかったので、ふわふわシールももっと台紙に沿って綺麗にはがせるようになることを望む。

 

 

 

死産のこと11:1年が経った

死産から1年が経った。

なんだかお腹の動きに元気がないと気づいて産婦人科に行って、心拍停止が確認され、夫と二人で超泣いて、入院して、ラミナリアの激痛に耐えていた頃だ。

 

あの数日間が、ものすごく昔に感じるし、そんなことが自分に起こったんだっけ?と他人事のように距離をとりたくなることもある。

一方で、私たちの子どもはどんな顔や声をしていたのかなぁ…と、不意に悲しくなって涙が出る。

電車やカフェやスーパーで赤ちゃんを見かけることはたくさんあるけれど、その瞬間に感情の動きを止めてやりすごすことが上手になった(私はこの状態を「無感覚」と呼んでいる)。

日常では、仕事をしたり漫画を読んだりドラマ見たり笑ったり愚痴ったりしているし、夫は今年もカープの勝敗に一喜一憂している。

1年って、長いようで、あっという間で、元気なようで、悲しみに暮れていて、全体的には穏やかになりつつあるけど、でもときどきとても苦しい、そんな不安定な時期だと思う。

 

つい最近でも、ごくたまに、私が去年妊娠していたところまでは知っている人がいて、当然子育てしていると思われているので、「お子さんは保育園ですか?」などと聞かれることがあった。仕事復帰直後とかは聞かれるだろうなという心の準備ができていたけど、ここまで来ると思いもかけないところから不意打ちでやってくる。でも、「亡くなってしまって子どもはいません」と答えるのもなんだかモヤモヤする〜と思って、ある時から、

「産休直前で亡くなってしまって、子どもはいるんですけど、育てている子どもは今はいないんです」

と答えるようにした。これが今のところ、しっくりくる答え方だと思っている。そのうち、聞かれることすらなくなっていくだろうから、その時に我が子のことをどのように表現できるのか(するかしないかも含めて)、今後の感じ方や考え方は変わっていくのだろう。

 

1年経つというこの週末をどう過ごそうかな〜と思っていたら、母と妹が遊びに来た。写真と遺骨を見てくれて、夫も含めて4人でご飯を食べに行き、最近ハマっているボードゲームをやって、帰っていった。見送ったあと、夫が「うちまで来てくれて、赤ちゃんも一緒に過ごせてよかったよね」と言った。

また、遠方に住む友達が、赤ちゃんに、と素敵な花飾りを贈ってくれた。別の友達が以前、贈ってくれたかわいいクマの置き物とともに赤ちゃんの棚が華やかになった。

元気に産まれていたら、出産祝いをもらったり、人や親戚が来て子どもと遊んだりするだろうけれど、そんな機会はもちろんない。だから、今回の来客や贈り物は、我が子のためにあったという貴重な日だった。

あとは本を読んだり、昼寝したり、ドラマ見たり、そんな感じで普段と変わらず過ごした。

 

3人で、悲しくも楽しく過ごした1年だった。

これからの1年も、いろいろあるだろうけれど、穏やかに過ごしたい。

 

 

 

恩師のお返事

学生時代の恩師に連絡する機会があり、一緒に近況報告として死産のことを伝えた。妊娠していた時に会っていたので、どこかで伝えないとなーと思いつつ、直接会う機会もないし、どうしよう…と思っていたところで、私としてはちょうど良かった。

妊娠していた頃に会ってから2ヶ月後くらいに亡くなったこと、その直後は落ち込んで家にこもって生活していたこと、その後復職してぼちぼち過ごし、新年度になってからも気持ちはときどき落ち込むけれど仕事はできていると思うこと・・・を伝えた。

恩師からは、「悲しいことがありましたね。とにかく時間がかかるでしょうね」とお返事いただいた。現在、仕事が変わらずできているということは大事ですね、とも。安易な励ましはなく、今後のことにも触れなかった。

 

本当に、時間がかかる。

 

身体的には問題ないし、日常的には以前と変わらず仕事ができている(寧ろ、仕事はなぜか増えている)。それでも、慌ただしい1日を終えて帰る車の中とか、最近は大丈夫になったはずなのに赤ちゃんを見かけたある時突然とか、なんだか落ち込む。特に最近、暑くなるにつれて、去年妊娠していた時は暑い中お腹抱えて歩いていたなぁとか、そんなことを思い出すことが増えた気がする。11ヶ月が経ち、もうすぐ亡くなった日が近づいてくるというアニバーサリー効果もあるのだろうと思う。

大事な対象(子、親、配偶者、友達、場所、自分の状態 etc.)を喪失した時に起こる反応を「悲嘆反応」と言ったり、悲しみや罪悪感などの感情や考え方・行動の変化のプロセスを「喪の作業」と言ったりするけれど、そうした過程って一見大丈夫な感じに見えても心の底で少しずつ進んでいるものなのだなぁと実感することも増えた。

危機に陥った人間の心は、一時的には混乱したり落ち込んだり、いろんな反応を示すけれど、じゅうぶんに悲しむ機会があったり、そのことを誰かと共有したりできることで、通常は日常生活が送れる程度には少しずつ収束していく、という。悲しむ時間がとれなかったり、無理に(不自然に)断ち切ろうとしたりすると、悲嘆の苦しみは複雑化・長期化しやすい、とも聞く。災害などの危機的状況では、普段と異なるさまざまな反応が起こることについて「異常な事態における正常な反応」だと言われている。通常と異なる大変な状況では、どんな反応(感情・行動)も起こりうるしおかしくない、ということだ。

だから、死産して最初の1ヶ月に起き上がれない、涙が止まらない、寝つけない等々あったことはそんなものだろうと心のどこかで思っていたけれど、11ヶ月が経っても、思いもかけないきっかけで悲しくなったり投げ出したくなったりする、ということがあって、まだまだ「異常な事態における正常な反応」は続いているようだ。

 

そんなことを感じていた矢先の恩師の返事は、悲しみと共に過ごす、ということをわかってくれているような気がした。

もうすぐ1年になるし、お盆もある。日々の忙しさから少し距離をおいて、気持ちにじっくりと向き合おうと思う。

 

 

 

『82年生まれ、キム・ジヨン』を読んだ:自分の体験や違和感を思い出してみる

NHKで紹介していたのを見て初めて知った。1980年代といえば同世代、ということで興味を持ってすぐ購入した。最初は「キム・ジヨン氏」などちょっと堅苦しい、読みにくい感じがあった、読み始めたら一気に読んでしまった。最後まで読んで、ゾワッとした。帯にもあるように、読みながら自分の体験が思い出された。というか、自分の体験や違和感を思い出すための本なのだと思うので、振り返ってみる。

 

学校のこと

 四年生からは、生徒たちの直接投票で学級委員を選んだ。一学期と二学期の年二回、三年間で六回投票したが、キム・ジヨン氏のクラスでは六回とも男子が学級委員になった。多くの先生は成績の良い女子五、六人を選んで手伝いをさせ、採点や宿題の点検もさせており、女子の方が絶対賢いと口癖のように言っていた。(p43)

私の小学生時代は、男子と女子の一人ずつが学級委員になる仕組みだったので、男子だけが選ばれるということはなかった。私も立候補して学級委員になったことがあった。でも、小学校5,6年生の時、学年で数人の児童で構成される児童会のメンバーに選ばれた中で、児童会長が男の子、副会長が私だった。完全に先生が勝手に選んでいた制度で、目立ちたがりだった私は、なぜ自分が会長ではないのかと不満をもったことを覚えている。少なくとも私が在籍していた期間は、男の子が会長だった。

不満を抱えたまま中学校に進学した私は、生徒による直接選挙で選ばれる生徒会長に立候補し、当選したのだった。同じく立候補していたのは女子が1人、男子が1人。つまり女子2人と男子1人が立候補という状態だった。珍しいのかもしれない。私が生徒会長になった当時、女子会長は十何年(何十年?)ぶりだとか、初めてかもとか言われていたのだった。特別な感じが嬉しい反面、やっぱりおかしいだろと思う。

 

生徒会や児童会の男女比ってどうなっているんだろうと思ってググってみたら、滋賀県大津市が興味深い報告をしてくれていた。

2018年度の小学校児童会の役員比率は、男子が45.0%(197人)、女子が55.0%(241人)で、児童会長では男女共に50.0%(共に13人)だった。

中学校の生徒会では、役員比率は男子が36.9%(144人)、女子が63.1%(246人)で、女子の方が多かったが、会長比率は男子が88.9%(16人)、女子が11.1%(2人)と逆転していた。

中学の生徒会長は男子が9割 滋賀・大津市が男女比調査 | 教育新聞 電子版 

児童会・生徒会の役員比率と会長比率を見ると、小学校ではほぼ男女同じなのに、中学校では役員比率は女子が多いのに会長比率は男子9割、女子1割という。小学校では先生が上手にバランスとるようにしてるのかもしれない。中学校では自主的にさせると9:1になるということなのだろうか。でもそれは、単に女子が前にでたがらないからという個人の問題に収めていいものでもない。

 

小学校・中学校の管理職の男女比は、平成23年度の時点で小学校の校長で19.9%、中学校の校長は6.6%と報告されている。低い。

f:id:harufuku:20190601120148p:plain

http://www.mext.go.jp/component/b_menu/houdou/__icsFiles/afieldfile/2011/11/08/1312852_002.pdf

 

PTAだって、役員メンバーはお母さんばかりだけれど会長になると突然お父さん出てくるよね。

人前に立ったり、チームのリーダーをしたりするのは、女の子じゃないのかなっていう雰囲気を、集団に敏感な中学生が感じとっても仕方ない。

 

親のこと

卒業式を二日後に控えた日のことだ。(略)キム・ジヨン氏は、自分は式に出ないと言った。(略)こんなに怒っても娘が無反応なのを見ると、父は一言つけ加えた。

「おまえはこのままおとなしくうちにいて、嫁にでも行け」

ところが、さっきあんなにひどいことを言われても何ともなかったのに、キム・ジヨン氏はこの一言で急に耐えられなくなってしまった。ごはんがまるで喉を通らない。スプーンを縦に握りしめてワナワナしながら呼吸を整えていると突然、がん、と固い石が割れるような音がした。母だった。母は顔を真っ赤にして、スプーンを食卓にたたきつけた。

「いったい今が何時代だと思って、そんな腐りきったこと言ってんの? ジヨンはおとなしく、するな! 元気出せ! 騒げ! 出歩け! わかった?」 (p98)

キム・ジヨンの母オ・ミスクは、兄弟を支えるために進学を諦めて働いて、男の子を妊娠しないことのプレッシャーに苦しみ、家事育児をしながら商売や投資を成功させるなど才覚のある様子が描かれている。オ・ミスク自身が経験してきた女性への扱いや押しつけを娘たちについ言ってしまったり、それを反省したり後悔したりしている。この揺れ動く母親がキム・ジヨンの感覚を育てたのだと思う。 

つい最近、知ったのだが、私が小学生か中学生の頃、男子だけがコンピュータの授業をするという時間があったそうで、私の母はなぜ女子はやらないのか、と学校に問い合わせたことがあったらしい。私は技術・家庭科などを男女ともに受けるようになってからの世代だけれども、きっと学校ごとや教員ごとの方針で男女別にする機会があったのだろう(私自身は何の授業かさっぱり覚えていない)。

それはちょっとおかしいのでは、と思い、それを表明してくれる親がいたことは、女だから云々と言われたくない、という私の感覚を育てたのだろう。父も母も大学に行っていないが、「残せる財産がないから教育を残す」と言われ、おかげで望むように進学ができた(奨学金も背負っているが)。

自分の親ではないけれど、私が大学生の時、アルバイト先の店長(男性)と、店長の娘二人の進学について話す機会があったが、「女の子だから外には出さん」と言っていた。私はその当時、県外に進学して一人暮らしをしながらそこでアルバイトをしていて、特にそのことを何か店長から言われたことも、女だから云々などと言われたこともなく、むしろさっぱりした良い店長だったけれども、自分の子どものこととなると違うのかなぁと思った。娘さんたちは自宅から通える範囲の大学に進学した。

 

結婚のこと

婚姻届だ。(略)

そして五番目の項目になった。「子の姓と本貫を母親の姓・本貫にすると合意しましたか?」(p123)

韓国と日本の仕組みは違うけれど姓について同じことで迷っているんだ、と初めて知った。結婚して姓に迷う。日本は結婚した者同士の姓をどうするか、韓国は生まれた子どもの姓をどうするか。どちらも男性の姓に合わせることが主流だ。

私がいざ婚姻届を出そうとした時、それまで「女だからこう、なんておかしい」という考えで生きてきたつもりだったけれど、多くの人と同じように男性に合わせておいた方がいいのかな、という考えがよぎった自分に驚いた。戸籍の姓が変わったところで仕事も友達づきあいでも何も変えないつもりだったから、正直言ってどちらでもよかった。夫もどちらでも良さそうで、私の姓にしてもいい、と言っていた。そうしようかなと母に言ったら、「それはやめとけ」と言われた。別に理由はなさそうだった。結局、自分で夫の姓にすると決めた。何も決め手がなければ、多数に合わせてしまうという自分の弱さと、「多数である」ということの威力を知った。

「まだ父親の姓を継ぐ人がほとんどではあるんだよね。母親の姓を注いだら、何か事情があると思われるでしょうね。説明したり訂正したり、確認したりすることが増えるだろうな」

 キム・ジヨン氏の言葉に、チョン・デヒョン氏は大きくうなずいた。自分の手で「いいえ」の欄に印をつけるキム・ジヨン氏の心情はどことなく虚しかった。(p125)

「それな!」としか言いようがない。

婚姻制度とか夫婦同姓とか、本当に何とかしてほしい。実務的な損害はもちろん、気持ちが削ぎ落とされるのだ。誰かがしんどい思いをしているのに、何のための制度か。

 

出産のこと、仕事のこと

「でもさ、ジヨン、失うもののことばかり考えないで、得るものについて考えてご覧よ。親になることがどんなに意味のある、感動的なことかをさ。それに、本当に預け先がなくて、最悪、君が会社を辞めることになったとしても心配しないで。僕が責任を持つから。君にお金を稼いでこいなんて言わないから」

「それで、あなたが失うものは何なの?」

「え?」

「失うもののことばかり考えるなって言うけど、私は今の若さも、健康も、職場や同僚や友だちっていう社会的ネットワークも、今までの計画も、未来も、全部失うかもしれないんだよ。だから失うもののことばっかり考えちゃうんだよ。だけど、あなたは何を失うの?」(p129)

前職場で、同僚の女性と、同僚の男性の妻がほぼ同時期に妊娠がわかったことがあった。同僚の女性はなかなか妊娠できずに悩んでいたから、本当に良かったはずだった。でもその当時、同僚は二人とも同時期に海外出張に行く予定があり、同じ一年ごとの更新の契約だったので、女性は出張をとりやめ、その年度の産休に入るタイミングで辞めることになった。妊娠の連絡をもらって、おめでとう!と伝えると、嬉しいけど2日泣いた、同じ子どもができた状態なのに辞めなくて済む同僚男性を羨ましく思ってしまう…と返事をもらった。任期の決まった勤務形態や更新のある職場では、どうしたって女性は妊娠すれば辞めることになる。専門職でずっとやってきた彼女の、募る悔しさを目の当たりにした。これは単にやりたいことを続けられなくて悔しい、というのではなくて、婚姻届と同じく、“自分で望んで”やっていることなのだという複雑さも含む。彼女は生まれた子をめちゃくちゃ可愛がっている。実家の協力を得て、仕事も何とか再開しているようだけれど、雇用期間の限定された職場だと聞く。本当は“自分たち2人が望んで” いることなのに、女性が泣き、男性は変わらない、という枠組みがある。

私は、産休育休がとれる環境に移ってからの妊娠ではあったけれど、あの彼女の様子が影響したところもあったかもしれない。つまり、一年更新の職場ではなく、産休育休がとれる環境に移ってから妊娠しよう、という考えがうっすら芽生えたように思う。つまり、転職できて、さらに1年以上勤めてからの妊娠・出産を目指すということで、年齢は高くなり、妊娠できる確率は下がる、という現象を招く。まさか死産になるとは思っていなかったけれど、何とかもう一人…と思った時にはますます年齢は上がる。夫も仕事は正規雇用ではないので(正規雇用が完全に安全とも言えないが)、私が辞めるわけにはいかなかった。

さらに先日書いたように、昇給がない事態になっている(まだいろいろ問い合わせ中)。女性の就業率のM字現象は今更いうまでもないけれど、正規雇用であっても、男性と同じスタートを切っても産休・育休で昇給しないのであれば、そりゃ、男女の年収は差がつくばかりだなとため息が出る。育休を男性も取ればいい、と言うのは簡単だけれど、2017年度の男性の育休取得率は5.14%らしい。目標が13%・・・千里の道も一歩からとは言え、低い。理由の一つが「育児休業を取得しづらい雰囲気」とのこと(男性の育休取得5.14%、過去最高 17年度 :日本経済新聞)。婚姻届と同じだ。

正規雇用という制度や給料に依存しすぎるのもよくないなぁとか、もっとしたたかに、しなやかに働くということを捉えていけたらいいのになとか、思うことはあるけれど、二人いるのにどちらかだけがその工夫を強いられることはやっぱり変だなと思うので、一つ一つの現状を修正して行くしかない。

 

帯の言葉が好きだ

「女性たちの絶望が詰まったこの本は、未来に向かうための希望の書」ー松田青子

この本は女性にとって絶望的な状況が詰め込まれていて、これを読んでその状況に思いを馳せ、意識と制度が変わっていくことで初めて希望になっていく。

 

死産後のこと10:「元気そうで良かった」と言われることについて

強烈な別れと悲しみを経験して、それでも終日泣き続けるのは3週間ほどでおさまり、2ヶ月の産後休業、1ヶ月の休み、復職して4ヶ月、新年度に入って仕事が去年までとほぼ同じペースに戻る期間を2ヶ月弱過ごしてきた。年度が変わったので、事情を知っている人と知らない人が混じることになった。子どもや若者を相手にすることが多いので、どよーんとしたまま彼らの前に出るわけにもいかず、結構元気な感じで過ごしていることが多くなった。復職直後は仕事も少なかったので、職場でもふと気が緩むと突然感情が決壊して泣いてしまうことがあったけれど、半年も経つとだんだんとコントロールする感覚が身についてきて、集中したり、雑談したり、冗談言ったりしながら過ごしている。死産直後には自分が家族以外とまた笑っているなんて想像もできなかったし、復職直後は前のようなテンションで仕事するなんて絶対無理だと思っていたけれど、時間というのは本当にゆっくり癒していく。そして同時に、仕事や他のことに没頭しているのは、元気に産まれてこられなかった私たちの赤ちゃんを忘れてしまうということではないのだということもわかった。

 

少しずつ復活してきたのは良かった、と思っている。

 

ただ、一方で、「元気そうで良かった」「復活してきたね」と言われることも増えてきた。増えてきた、というか、今のところ私の周りではある一人の上司だけなのだけど。この上司は人について、本当のところどうなんだろうとか、頑張りすぎじゃない?とかを推測できる人ではないのはわかっているので、私が以前と同じペースで仕事をして、笑っていたらそう思うだろうなとは想像できる。それでも、つい、私の方でも「別に人から言われるほど元気じゃないし」と思ってしまう(思うだけでなく、「いやいや、元気な感じにしてないとやってらんないんす」くらいは返す)。

元気になっていこうとは思っているし、実際に楽しいこともあるし、我が子を理由に人から心配されるばかりなのも落ち着かないと思っているのに、人からいざ「元気そうだネ」と言われると、ものすごく違和感があった。なぜか。

きっとこれは、「人から勝手に何かを押しつけられる」ことの違和感だ。だから、逆に、すごく可哀想がられてもたぶん違和感を感じるのではないかと思う。

 

私が死産を報告したとき、これまで4人から「自分も同じ経験がある」という答えがあった。

今考えてみると、この4人の人たちは誰も、「同じ経験をしたから、あなたの気持ちはすごくよくわかる」とは言わなかった(報告した瞬間、勢いで「わかる!」と言われたことはあったけれど、気持ちがわかるというよりは、死産という経験を私もしたよ、というニュアンスだった)。その代わり、皆さんがそれぞれに、自分はこんな感じだったよ…と話をしてくれた。その話は全部、死産という同じ名前の現象だけれど、それぞれ違う体験だった。経験した時期も、実は去年…という人から、もう40年前のことだという人までバラバラだったので、今の受け止め方・考え方・語り方も違うように感じた。

4人の話を聞いた時の私の感覚は不思議だった。4人の話は私の仲間になったり、今後の道しるべになったりした。話そのものはその人の領域から出ていないのにも関わらず、私に触れるか触れないかぐらいの距離で私を守るように包んでくれた(と言ってはロマンチックで大袈裟かもしれないけれど)、そんな感じだ。

 

一方で、「元気そうで良かった」という言葉は、その人自身の領域を越えて、「元気そう」と私を形容することで私の領域に入ってきてしまっている感じがする。私が自他共に認める元気をもっていたら問題ないのだろうけれど、自と他にズレがあるから違和感があるし、そんなに元気でもないので押しつけられていると感じているのだろう。

亡くなっていることがわかって入院した初日、「あなたの気持ちがわかる」と声をかけてくれた看護師さんに、嬉しいような違うような気持ちがしたのも、領域を越えすぎだったからなのかな、と今は思う。悲しいのと訳わからんのほんの始まりの地点にいた私にとって、「あなたの気持ちがわかる」はちょっと入り込みすぎていた。

上司も看護師さんも、気にかけてくれているのはわかって感謝もしているのだけど、心配することと心配を伝えることは別物なのだろうと思う。

私自身が、死産も含め人の悲しみに出会った時、どう接することができるのか、考えさせられる。

 

 

 

本当は、この現象に名前をつけようと思って書き始めたのに、全然違うことになってしまった。