ある日、森の中

思ったこと、考えたこと、調べたこと、経験したこと

『82年生まれ、キム・ジヨン』を読んだ:自分の体験や違和感を思い出してみる

NHKで紹介していたのを見て初めて知った。1980年代といえば同世代、ということで興味を持ってすぐ購入した。最初は「キム・ジヨン氏」などちょっと堅苦しい、読みにくい感じがあった、読み始めたら一気に読んでしまった。最後まで読んで、ゾワッとした。帯にもあるように、読みながら自分の体験が思い出された。というか、自分の体験や違和感を思い出すための本なのだと思うので、振り返ってみる。

 

学校のこと

 四年生からは、生徒たちの直接投票で学級委員を選んだ。一学期と二学期の年二回、三年間で六回投票したが、キム・ジヨン氏のクラスでは六回とも男子が学級委員になった。多くの先生は成績の良い女子五、六人を選んで手伝いをさせ、採点や宿題の点検もさせており、女子の方が絶対賢いと口癖のように言っていた。(p43)

私の小学生時代は、男子と女子の一人ずつが学級委員になる仕組みだったので、男子だけが選ばれるということはなかった。私も立候補して学級委員になったことがあった。でも、小学校5,6年生の時、学年で数人の児童で構成される児童会のメンバーに選ばれた中で、児童会長が男の子、副会長が私だった。完全に先生が勝手に選んでいた制度で、目立ちたがりだった私は、なぜ自分が会長ではないのかと不満をもったことを覚えている。少なくとも私が在籍していた期間は、男の子が会長だった。

不満を抱えたまま中学校に進学した私は、生徒による直接選挙で選ばれる生徒会長に立候補し、当選したのだった。同じく立候補していたのは女子が1人、男子が1人。つまり女子2人と男子1人が立候補という状態だった。珍しいのかもしれない。私が生徒会長になった当時、女子会長は十何年(何十年?)ぶりだとか、初めてかもとか言われていたのだった。特別な感じが嬉しい反面、やっぱりおかしいだろと思う。

 

生徒会や児童会の男女比ってどうなっているんだろうと思ってググってみたら、滋賀県大津市が興味深い報告をしてくれていた。

2018年度の小学校児童会の役員比率は、男子が45.0%(197人)、女子が55.0%(241人)で、児童会長では男女共に50.0%(共に13人)だった。

中学校の生徒会では、役員比率は男子が36.9%(144人)、女子が63.1%(246人)で、女子の方が多かったが、会長比率は男子が88.9%(16人)、女子が11.1%(2人)と逆転していた。

中学の生徒会長は男子が9割 滋賀・大津市が男女比調査 | 教育新聞 電子版 

児童会・生徒会の役員比率と会長比率を見ると、小学校ではほぼ男女同じなのに、中学校では役員比率は女子が多いのに会長比率は男子9割、女子1割という。小学校では先生が上手にバランスとるようにしてるのかもしれない。中学校では自主的にさせると9:1になるということなのだろうか。でもそれは、単に女子が前にでたがらないからという個人の問題に収めていいものでもない。

 

小学校・中学校の管理職の男女比は、平成23年度の時点で小学校の校長で19.9%、中学校の校長は6.6%と報告されている。低い。

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http://www.mext.go.jp/component/b_menu/houdou/__icsFiles/afieldfile/2011/11/08/1312852_002.pdf

 

PTAだって、役員メンバーはお母さんばかりだけれど会長になると突然お父さん出てくるよね。

人前に立ったり、チームのリーダーをしたりするのは、女の子じゃないのかなっていう雰囲気を、集団に敏感な中学生が感じとっても仕方ない。

 

親のこと

卒業式を二日後に控えた日のことだ。(略)キム・ジヨン氏は、自分は式に出ないと言った。(略)こんなに怒っても娘が無反応なのを見ると、父は一言つけ加えた。

「おまえはこのままおとなしくうちにいて、嫁にでも行け」

ところが、さっきあんなにひどいことを言われても何ともなかったのに、キム・ジヨン氏はこの一言で急に耐えられなくなってしまった。ごはんがまるで喉を通らない。スプーンを縦に握りしめてワナワナしながら呼吸を整えていると突然、がん、と固い石が割れるような音がした。母だった。母は顔を真っ赤にして、スプーンを食卓にたたきつけた。

「いったい今が何時代だと思って、そんな腐りきったこと言ってんの? ジヨンはおとなしく、するな! 元気出せ! 騒げ! 出歩け! わかった?」 (p98)

キム・ジヨンの母オ・ミスクは、兄弟を支えるために進学を諦めて働いて、男の子を妊娠しないことのプレッシャーに苦しみ、家事育児をしながら商売や投資を成功させるなど才覚のある様子が描かれている。オ・ミスク自身が経験してきた女性への扱いや押しつけを娘たちについ言ってしまったり、それを反省したり後悔したりしている。この揺れ動く母親がキム・ジヨンの感覚を育てたのだと思う。 

つい最近、知ったのだが、私が小学生か中学生の頃、男子だけがコンピュータの授業をするという時間があったそうで、私の母はなぜ女子はやらないのか、と学校に問い合わせたことがあったらしい。私は技術・家庭科などを男女ともに受けるようになってからの世代だけれども、きっと学校ごとや教員ごとの方針で男女別にする機会があったのだろう(私自身は何の授業かさっぱり覚えていない)。

それはちょっとおかしいのでは、と思い、それを表明してくれる親がいたことは、女だから云々と言われたくない、という私の感覚を育てたのだろう。父も母も大学に行っていないが、「残せる財産がないから教育を残す」と言われ、おかげで望むように進学ができた(奨学金も背負っているが)。

自分の親ではないけれど、私が大学生の時、アルバイト先の店長(男性)と、店長の娘二人の進学について話す機会があったが、「女の子だから外には出さん」と言っていた。私はその当時、県外に進学して一人暮らしをしながらそこでアルバイトをしていて、特にそのことを何か店長から言われたことも、女だから云々などと言われたこともなく、むしろさっぱりした良い店長だったけれども、自分の子どものこととなると違うのかなぁと思った。娘さんたちは自宅から通える範囲の大学に進学した。

 

結婚のこと

婚姻届だ。(略)

そして五番目の項目になった。「子の姓と本貫を母親の姓・本貫にすると合意しましたか?」(p123)

韓国と日本の仕組みは違うけれど姓について同じことで迷っているんだ、と初めて知った。結婚して姓に迷う。日本は結婚した者同士の姓をどうするか、韓国は生まれた子どもの姓をどうするか。どちらも男性の姓に合わせることが主流だ。

私がいざ婚姻届を出そうとした時、それまで「女だからこう、なんておかしい」という考えで生きてきたつもりだったけれど、多くの人と同じように男性に合わせておいた方がいいのかな、という考えがよぎった自分に驚いた。戸籍の姓が変わったところで仕事も友達づきあいでも何も変えないつもりだったから、正直言ってどちらでもよかった。夫もどちらでも良さそうで、私の姓にしてもいい、と言っていた。そうしようかなと母に言ったら、「それはやめとけ」と言われた。別に理由はなさそうだった。結局、自分で夫の姓にすると決めた。何も決め手がなければ、多数に合わせてしまうという自分の弱さと、「多数である」ということの威力を知った。

「まだ父親の姓を継ぐ人がほとんどではあるんだよね。母親の姓を注いだら、何か事情があると思われるでしょうね。説明したり訂正したり、確認したりすることが増えるだろうな」

 キム・ジヨン氏の言葉に、チョン・デヒョン氏は大きくうなずいた。自分の手で「いいえ」の欄に印をつけるキム・ジヨン氏の心情はどことなく虚しかった。(p125)

「それな!」としか言いようがない。

婚姻制度とか夫婦同姓とか、本当に何とかしてほしい。実務的な損害はもちろん、気持ちが削ぎ落とされるのだ。誰かがしんどい思いをしているのに、何のための制度か。

 

出産のこと、仕事のこと

「でもさ、ジヨン、失うもののことばかり考えないで、得るものについて考えてご覧よ。親になることがどんなに意味のある、感動的なことかをさ。それに、本当に預け先がなくて、最悪、君が会社を辞めることになったとしても心配しないで。僕が責任を持つから。君にお金を稼いでこいなんて言わないから」

「それで、あなたが失うものは何なの?」

「え?」

「失うもののことばかり考えるなって言うけど、私は今の若さも、健康も、職場や同僚や友だちっていう社会的ネットワークも、今までの計画も、未来も、全部失うかもしれないんだよ。だから失うもののことばっかり考えちゃうんだよ。だけど、あなたは何を失うの?」(p129)

前職場で、同僚の女性と、同僚の男性の妻がほぼ同時期に妊娠がわかったことがあった。同僚の女性はなかなか妊娠できずに悩んでいたから、本当に良かったはずだった。でもその当時、同僚は二人とも同時期に海外出張に行く予定があり、同じ一年ごとの更新の契約だったので、女性は出張をとりやめ、その年度の産休に入るタイミングで辞めることになった。妊娠の連絡をもらって、おめでとう!と伝えると、嬉しいけど2日泣いた、同じ子どもができた状態なのに辞めなくて済む同僚男性を羨ましく思ってしまう…と返事をもらった。任期の決まった勤務形態や更新のある職場では、どうしたって女性は妊娠すれば辞めることになる。専門職でずっとやってきた彼女の、募る悔しさを目の当たりにした。これは単にやりたいことを続けられなくて悔しい、というのではなくて、婚姻届と同じく、“自分で望んで”やっていることなのだという複雑さも含む。彼女は生まれた子をめちゃくちゃ可愛がっている。実家の協力を得て、仕事も何とか再開しているようだけれど、雇用期間の限定された職場だと聞く。本当は“自分たち2人が望んで” いることなのに、女性が泣き、男性は変わらない、という枠組みがある。

私は、産休育休がとれる環境に移ってからの妊娠ではあったけれど、あの彼女の様子が影響したところもあったかもしれない。つまり、一年更新の職場ではなく、産休育休がとれる環境に移ってから妊娠しよう、という考えがうっすら芽生えたように思う。つまり、転職できて、さらに1年以上勤めてからの妊娠・出産を目指すということで、年齢は高くなり、妊娠できる確率は下がる、という現象を招く。まさか死産になるとは思っていなかったけれど、何とかもう一人…と思った時にはますます年齢は上がる。夫も仕事は正規雇用ではないので(正規雇用が完全に安全とも言えないが)、私が辞めるわけにはいかなかった。

さらに先日書いたように、昇給がない事態になっている(まだいろいろ問い合わせ中)。女性の就業率のM字現象は今更いうまでもないけれど、正規雇用であっても、男性と同じスタートを切っても産休・育休で昇給しないのであれば、そりゃ、男女の年収は差がつくばかりだなとため息が出る。育休を男性も取ればいい、と言うのは簡単だけれど、2017年度の男性の育休取得率は5.14%らしい。目標が13%・・・千里の道も一歩からとは言え、低い。理由の一つが「育児休業を取得しづらい雰囲気」とのこと(男性の育休取得5.14%、過去最高 17年度 :日本経済新聞)。婚姻届と同じだ。

正規雇用という制度や給料に依存しすぎるのもよくないなぁとか、もっとしたたかに、しなやかに働くということを捉えていけたらいいのになとか、思うことはあるけれど、二人いるのにどちらかだけがその工夫を強いられることはやっぱり変だなと思うので、一つ一つの現状を修正して行くしかない。

 

帯の言葉が好きだ

「女性たちの絶望が詰まったこの本は、未来に向かうための希望の書」ー松田青子

この本は女性にとって絶望的な状況が詰め込まれていて、これを読んでその状況に思いを馳せ、意識と制度が変わっていくことで初めて希望になっていく。

 

死産後のこと10:「元気そうで良かった」と言われることについて

強烈な別れと悲しみを経験して、それでも終日泣き続けるのは3週間ほどでおさまり、2ヶ月の産後休業、1ヶ月の休み、復職して4ヶ月、新年度に入って仕事が去年までとほぼ同じペースに戻る期間を2ヶ月弱過ごしてきた。年度が変わったので、事情を知っている人と知らない人が混じることになった。子どもや若者を相手にすることが多いので、どよーんとしたまま彼らの前に出るわけにもいかず、結構元気な感じで過ごしていることが多くなった。復職直後は仕事も少なかったので、職場でもふと気が緩むと突然感情が決壊して泣いてしまうことがあったけれど、半年も経つとだんだんとコントロールする感覚が身についてきて、集中したり、雑談したり、冗談言ったりしながら過ごしている。死産直後には自分が家族以外とまた笑っているなんて想像もできなかったし、復職直後は前のようなテンションで仕事するなんて絶対無理だと思っていたけれど、時間というのは本当にゆっくり癒していく。そして同時に、仕事や他のことに没頭しているのは、元気に産まれてこられなかった私たちの赤ちゃんを忘れてしまうということではないのだということもわかった。

 

少しずつ復活してきたのは良かった、と思っている。

 

ただ、一方で、「元気そうで良かった」「復活してきたね」と言われることも増えてきた。増えてきた、というか、今のところ私の周りではある一人の上司だけなのだけど。この上司は人について、本当のところどうなんだろうとか、頑張りすぎじゃない?とかを推測できる人ではないのはわかっているので、私が以前と同じペースで仕事をして、笑っていたらそう思うだろうなとは想像できる。それでも、つい、私の方でも「別に人から言われるほど元気じゃないし」と思ってしまう(思うだけでなく、「いやいや、元気な感じにしてないとやってらんないんす」くらいは返す)。

元気になっていこうとは思っているし、実際に楽しいこともあるし、我が子を理由に人から心配されるばかりなのも落ち着かないと思っているのに、人からいざ「元気そうだネ」と言われると、ものすごく違和感があった。なぜか。

きっとこれは、「人から勝手に何かを押しつけられる」ことの違和感だ。だから、逆に、すごく可哀想がられてもたぶん違和感を感じるのではないかと思う。

 

私が死産を報告したとき、これまで4人から「自分も同じ経験がある」という答えがあった。

今考えてみると、この4人の人たちは誰も、「同じ経験をしたから、あなたの気持ちはすごくよくわかる」とは言わなかった(報告した瞬間、勢いで「わかる!」と言われたことはあったけれど、気持ちがわかるというよりは、死産という経験を私もしたよ、というニュアンスだった)。その代わり、皆さんがそれぞれに、自分はこんな感じだったよ…と話をしてくれた。その話は全部、死産という同じ名前の現象だけれど、それぞれ違う体験だった。経験した時期も、実は去年…という人から、もう40年前のことだという人までバラバラだったので、今の受け止め方・考え方・語り方も違うように感じた。

4人の話を聞いた時の私の感覚は不思議だった。4人の話は私の仲間になったり、今後の道しるべになったりした。話そのものはその人の領域から出ていないのにも関わらず、私に触れるか触れないかぐらいの距離で私を守るように包んでくれた(と言ってはロマンチックで大袈裟かもしれないけれど)、そんな感じだ。

 

一方で、「元気そうで良かった」という言葉は、その人自身の領域を越えて、「元気そう」と私を形容することで私の領域に入ってきてしまっている感じがする。私が自他共に認める元気をもっていたら問題ないのだろうけれど、自と他にズレがあるから違和感があるし、そんなに元気でもないので押しつけられていると感じているのだろう。

亡くなっていることがわかって入院した初日、「あなたの気持ちがわかる」と声をかけてくれた看護師さんに、嬉しいような違うような気持ちがしたのも、領域を越えすぎだったからなのかな、と今は思う。悲しいのと訳わからんのほんの始まりの地点にいた私にとって、「あなたの気持ちがわかる」はちょっと入り込みすぎていた。

上司も看護師さんも、気にかけてくれているのはわかって感謝もしているのだけど、心配することと心配を伝えることは別物なのだろうと思う。

私自身が、死産も含め人の悲しみに出会った時、どう接することができるのか、考えさせられる。

 

 

 

本当は、この現象に名前をつけようと思って書き始めたのに、全然違うことになってしまった。

 

 

 

母の日と、母でない私

日曜日は母の日だった。

車の点検に行き、ジムで筋トレをやり、伊坂幸太郎の小説を読み、実家の母に電話した。

毎年、母・父の誕生日と母の日・父の日には、プレゼントとかは何もせずに電話をしている。どちらかと言うと私が話してしまうことの方が多く、私の職場の愚痴と、妹とその子ども4歳&2歳のところに連休中に遊びに行った話と、母からは運動のために通っていたプールが今年の秋で閉鎖するのでそのあとどうしようという話があった。

 

結局、今年も自分が子どもとしての母の日だったなと思った。

 

ツイッターで、“天使ママ”も母であるという投稿を見て、そうだそうだとは思ったものの、なんだか実感は持てず、宙ぶらりんな感じだった。

夫が、「お母さん、ありがとうってどっかで言ってるんじゃない?」と言ってくれたけれど、私自身、自分から母に有り難いと思ったのは20代半ばを過ぎてからという未熟っぷりで、ましてや私たちの赤ちゃんは自由気ままに過ごしているわけだから、ありがとうなんてまだまだ思うはずがない、と言い返した。

そして、9ヶ月が経って、ハイハイが上手になったかもしれない我が子が、お空でほかの赤ちゃんたちと楽しく過ごしている様子を想像しようと思って、うまく想像しきれずに、でも可愛いだろうなと思って、涙が出たのだった。

 

 

プリキュア第13話「ララのドキドキ初登校」の感想と妄想

スタートゥインクルプリキュアを毎週見ている。幼稚園に通う姪っ子と話を合わせたいためだ。初プリキュア。第16弾らしい。

今日は、第13話「ララのドキドキ初登校☆」ということで、宇宙からやってきたララが、今までひかる達と接するだけだったけど、なんでだったか同じ学校に通うことになった話だった。

『スター☆トゥインクルプリキュア』第13話「ララのドキドキ初登校☆」より先行カット到着!

『スター☆トゥインクルプリキュア』第13話「ララのドキドキ初登校☆」より先行カット到着! | アニメイトタイムズ

 

文字は読めない、掃除の仕方もわからない、ルールを守れず怒られる、ということで閉じこもってしまうララが、間違いなく学校をこなし、みんなのように喋るためにAIに頼るけれど、ひかるは「間違ってもいいじゃない! そんなの本当のララじゃない」とか言っている間に、カッパードが現れて戦って勝って終わる。最後、登校中のララにクラスメイト2人が、「ルンちゃん」と呼びかけ、「語尾がルンだから」と言って、仲間になった感になってララはひかると初めての日直に向かう、というラストだった。

最後のところ、その仲間の入り方はどうなの? と思ってしまった。みんなと違う外見的特徴(語尾だけど)を、本人と共通理解なしに取り上げるのは、いじりとかいじめにつながる気がする。あと、皆と全く一緒になるというのとは違うけれど、自分ができないことをサポートしてもらうためのツール(ここではAI)はあっても良いと思う。文字を読みにくい子がタブレットを使うとか。ただ、それだけではフォローできない部分は、やはり対人関係、コミュニケーションに依ると思うので、それはララもひかるもクラスメイトも想像力が必要だよね、ということなのかなと思った。

せっかく宇宙人ララが学校に通うという設定なので、もっと同調圧力との葛藤とかその解決を描いてみたら、毎週プリキュアを見ている園児達(そして私の姪っ子)に、「がっこうっていうのはたいへんそうだけど、こうやってかいけつしていけるのだ」と感じてもらえたりしないだろうか。

 

ということで、こんなストーリーはどうだろうと考えてみた。

 

ララのドキドキ初登校☆

ひかる、エレナ、まどか達と一緒に学校に通える! そう意気込んで初登校に臨んだララだったが、掃除の仕方、文字の読み方、授業の受け方、いろんなものがわからず困惑する。滅茶苦茶な方法で取り組むララに対して、「こんなこともできないなんて…」と周りの子が眉をひそめてヒソヒソ、「それなのにエレナ先輩やまどか先輩と馴れ馴れしくお喋りして…」とやっかむ女子達、学校のルールを守れと厳しく迫るクラス委員の姫野城桜子。気にせず話しかけてくるのはノリとテンションで生きてる隣の席の男子、通称カルノリだけ。ララはAIに頼りながら口調を合わせ、掃除をしようとするが、ぎこちなくなってしまう。
そこへ窓から覗くカッパード。

「皆と一緒じゃないと許せない…ククク、その歪んだイマジネーション、頂いた!」

クラスメイト全員を取り込んでノットレイダーに変えてしまう。ひかる達はプリキュアに変身してクラスメイトを救うためカッパードと戦う。ララ、「皆とまだ分かり合えてないルン!」と渾身のミルキーショック!
カッパードは立ち去り、気がつくクラスメイト。机や椅子が散乱し困惑する中、構わずひかるが皆に言う。
「皆、想像してみて! ララはひとりぼっちでこの観星中にやってきて、宇宙…じゃなかった、外国と全然違う生活を送ってるんだよ! ずっとここに住んでる私達には想像もつかないくらい孤独だと思う。違うところもいっぱいあると思う。でも、地球にはいろんな人がいるし、宇宙から見たら私たちとララの違いなんて大したことないんじゃないかなっ☆   私は掃除の仕方を教えてあげるし、ララから私の知らないキラやば〜な世界のことを教えてもらいたいって思うんだ!」
皆ハッとして戸惑いつつ、うつむくララを見て顔を見合わせる。

やってきた担任が教室の惨状に驚いて、午後の授業は中止にするから全員で片付けなさいと指示する。皆で教室を片付ける中、クラスメイトがおずおずとララに掃除道具の使い方を教える。

女子「モップはこうやって使うんだよ」

ララ「わかったルン! …じゃなくて、わかったわ」

女子「ルンでいいよ。なんだか可愛いし!」

女子2「私もそう思ってた!」

女子3「わからないことがあったらなんでも聞いてね!」

ララ「・・・ありがとうルン!!」

見守るひかる、エレナ、まどか。

皆、笑顔。

 

〜完〜

 

まぁ、よっぽどひかるの方が浮いている気はするけど。

 

産休後の昇給がなかったことをどう理解すればいいのか

先日、今年度の給与辞令が出て、昨年度と比較してみたら、今年度の昇給がされてなかった。給与説明会では、基本的には毎年昇給する仕組みという説明があり、2年目だった昨年度は昇給していた。ちなみに、専門職型の裁量労働制を取っている職場です。

時給生活7年、年俸制3年という給与形態から仕事をスタートして、お金の仕組みをその都度自分なりに理解してやってきたけれど(といっても確定申告を一生懸命やるくらいだけど)、正規職員として給料をもらうようになって、死産とそれに関わる産前産後休業などを経て、お金の仕組みが結構難しいと感じている。

 

きちんと理由を聞いてみようと思っているけれど、男女雇用機会均等法によると、もし私が出産(死産)関連で休んだことが評価に含まれるのだとすれば、職場はアウトらしい。

一応、自覚としては何かやらかしたとか問題を起こしたということはない。

私の休業期間は、産前産後休業が8週間と2日、その後32日間の欠勤(産婦人科医師の診断に基づくもの)なのだけど、この32日間が算定に影響した、ということなのだろうか。でも、産婦人科医師による産後のメンタルのことだから、下記の「妊娠・出産に起因する症状により労働できないこと」に含まれる? 

 

婚姻、妊娠・出産等を理由として女性に不利益な取り扱い等をすることは禁止されています。(法第9条)

事業主の以下の行為は禁止されています。

  1. 性労働者が婚姻、妊娠、出産した場合には退職する旨をあらかじめ定めること。
  2. 婚姻を理由に女性労働者を解雇すること。
  3. 厚生労働省令で定められている事由(※)を理由に、女性労働者に対し不利益な取り扱いをすること。

(※)厚生労働省令で定められている事由

妊娠、出産、母性健康管理措置を求めて受けたこと、坑内業務・危険有害業務に就けないこと、産前産後休業をしたこと、軽易業務への転換請求、時間外等就業をしないこと、育児時間の請求・取得、妊娠・出産に起因する症状により労働できないこと・能率が低下したこと

<禁止される不利益な取り扱いの例>

解雇、契約更新をしないこと、契約更新回数の引き下げ、退職・労働契約内容の変更の強要、降格、就業環境を害すること、不利益な自宅待機、減給・賞与等の不利益な算定、昇進・昇格の人事考課の不利益な評価、不利益な配置の変更、派遣労働者勤務の拒否

 

厚生労働省男女雇用機会均等法 育児・介護休業法のあらまし」)

https://www.mhlw.go.jp/bunya/koyoukintou/pamphlet/dl/28a.pdf

 

 

前年度に休みがあることで昇給しないのであれば、もし今年また妊娠したとして(次はなんとか産まれるとして)、

2020年1月〜2020年2月 産休

2020年2月〜2021年1月 育休 (2020年4月 昇給なし)

2021年4月 昇給なし

になってしまうので、3年間据え置きになってしまうということ?! そりゃ困る。女性の社会進出も男性の家庭進出も進まない実態を見た気がした(まだ正確なところはわからない)。 

 

社会保険労務士の方のコラムで見つけたのは下記のような記載。

産前産後、育児、介護休業を取得することによる不利益取り扱いは、法律でますます強く禁止されてきています。
年次有給休暇の取得要件としての「出勤率8割以上」を他の算定要件も同様に取り入れている会社が多くみられます。
ただ、「出勤率8割以上」とだけの要件とするのではなく、就業規則には産前産後、育児介護休業昇給月を迎えた従業員の取り扱い、算定対象期間に休業した期間がある場合に定期昇給をどう扱うかについても明確に規定しましょう。

育児休業中に到来した昇給月、昇給できるの? | ついき社会保険労務士事務所

 

出勤率に産前産後休業はカウントされないようなので、32日間の欠勤は8割以下のはず、で合ってるのか?   「明確な規定」が職場にあるのかどうか自分が把握していないことが問題だ。というか、職場の就業規則がオープンにされていない気がする。多分これが一番問題だ。裁量労働制という形態が影響しているのか? 規模はそこそこ大きいのだけど、就業規則や給与規定って知らされないのおかしくない?(今更…) 

ネットで見られる範囲で調べると、昇給自体に規定はなく個々の会社に任されているところもあるようだし、私の現状とぴったり合う事例がよくわからないので、個別に解決していかないといけないようだ。

何か全然違う理由の話だったらどうしよう、とも思いつつ。

ああ、気が重い。

 

怒りの気持ちに振り回されない宣言

職場に復帰して3月まで仕事量はそんなに多くなかったけれど、4月になり年度が新しくなったので仕事が元通りになってきた。これまでのように自分一人あるいは少人数だけで終われることは減り、他の人々に関係したりお願いしたりすることも増えてきた。それに伴って、効率的でない仕事、目的のわからない打ち合わせ、はっきりしない上司、好き嫌いはっきりしすぎる同僚、曖昧な体制、曖昧な言葉・・・要するにイラっとすることが増えてきた。隣と比べて少人数の部門でまとまらないといけない場面もあると思うのだけれど、そうもいかないことが多い。何でそういう言い方するかなーとか、文句ばかり言っても仕方ないのに何言ってんのとか、思いつつ、飲み込み、引き受けられることは引き受け、やりとりする。人相手の仕事なので、お客さんとのやりとりが難しいことは仕方ないと思うのだけど、職場内でもモヤモヤするのはしんどい。

そんなことを続けていたら、また歯を噛み締めることが増えたのか、顎周りが痛くなった。肩や首に痛みは感じていないけれど、たぶん、これは気を張って気づけていない部分もある。マッサージしてもらうとだいぶ張っていると言われても自分ではわからない。

これはいかんと思い、1ヶ月ぶりに鍼灸院に行った。「職場で腹が立つことが増えて・・・」と話しながら鍼をしてもらいながらちょっと冷静になって考えてみた。

 

周りの人達に腹が立って、歯を噛み締めて、自分に痛みを増やして鍼治療に来るって、なんかおかしい。というか、無駄。「それって何のミーニングがあるの?」と私の中で、別の私が呟く。

周りは思う通りにならない。怒りを感じるのは相手に期待しているから。「こうして欲しいのに!」と思うほどに、そうならないギャップに自分が苦しくなってしまう。

相手に要求するのは、まるで晴れた日に両手を空に向かって振り上げて「雨よ降れ!!!」って叫ぶようなものさ。そんなバカげたことってあるかな? 雨が降り始めないからってカンカンになるなんて。

『自分の怒りをしずめよう:子どものためのアンガーマネジメント・ガイド』

 アンガーマネジメントについては知っていたはずなのに、ついつい自分の感情に巻き込まれてしまっていた。あぶない、あぶない。

以前、旦那さんとの関係で怒りまくっていた妹に、「相手に対して期待せず、ほどよい諦めを…」と言ったら「何で私が我慢しないといけないのか!」と逆に怒られたことがあったけれど、我慢というか、これ以上、相手のことでエネルギーを割いていくこと自体が無駄、という感じだ。相手の行動は変えられない、変えられるのは自分の行動だけ、なので、相手はこういう人だと割り切って自分ができることを淡々とやるしかない。相手はどういう人なのか、状況はどうなのか、ということを理解しないといけない分、私の認識の変容が求められるところはちょっと大変だけれども、負の感情に巻き込まれてしんどい思いを続ける方がもっと大変になる気がする。自分の怒りに人を巻き込んでしまっても面白くないし、対立に巻き込まれるのはもっとよろしくない。どうせエネルギーを向けるならもっと面白そうなことに向けたい。歯を食いしばるなら、自分の子どものことを思って泣きたい。私がすべきなのは、人々との摩擦にイライラすることではなくて、自分の仕事、全体の仕事をいかに効率的・効果的に終わらせるか、ということだ。

 

そんなことをいろいろ考えた鍼だった。とは言え、またイラっと反応することはあるだろうけれど、次は一瞬だけ冷静になれると信じよう。

鍼もよく効いている。

 

連休は嬉しいけど去年を思い出して憂うつにもなる

連休の予定が何もない。7連休くらいにはなりそうなのに。

去年のこの頃、連休はつわり真っ只中で、妊娠4ヶ月を過ぎると落ち着く人もいます、というたまごクラブの説明も虚しく、毎日吐いていた。胎動もまだ感じておらず、ただただ自分が気持ち悪い状態が続いているだけで、何のためにこんなにゲロゲロなのかよくわからなかったけど、「来年の連休はきっと今までとは全然違う連休になっているに違いない」と思ったことは覚えている。もちろん、産まれた子どもを世話している、という意味で。

30代が半ばを迎えるにつれて年々仕事が増えて、それだけでも限界と思っていたのに、子どもを育てるというのはどんな仕事よりも大変らしい・・・と知って、1年は育休としてもその後は仕事と育児が20年くらいは続くのかぁと覚悟していた。人混みが苦手なので連休に出かけるなんて狂気の沙汰と思っていたけど、子どもがいたらそうも言ってられないのだなと妹家族を見て頑張ろうと思ったりした。

 

思い出して悲しくなることは死産直後からいろいろあった。

膨らんでいないおなか。

購入してあった赤ちゃん用品、もらったチャイルドシート

使わなくなった母子手帳

そもそも家自体、一人増えてもいいように引っ越したこと。

赤ちゃんの足型を取ってもらっていたので、お風呂に入った後に湯気で自分の足跡が床についたのを見て泣いたこともあった。今思うとよくわからん感じもあるけれど、きっかけがたくさんあったのだ。

 

そんなことを思い出すので、連休は嬉しいけど憂うつだ。

 

「去年の今頃はこうだったのに」と思うことが増える。

今を生きろ、今を。